汚辱の底で
アマル・シャタカ
刀折れ矢が尽きても
倒れられないことがある
身は魂魄に成り果てても
走り続けなければならないことがある
愚かなことよと罵られても
信じるということは疑わないということだ
たとえばそれが
我が身を滅ぼすこととなっても
信じること
信じ続けることを辞めてしまった時点で人は
打算の生き物に成り下がる
誇りなどというものが価値を失った時代には
馬鹿げた話といわれるけれど
ベイビー
俺たちはまだ諦めちゃいない
人生とは何をしたかではなく
何をしようとしたかであるということを
知っているから