夕鶴異聞
蒸発王
あの女房殿は
鶴なんかじゃ無かったのですよ
『夕鶴異聞』
そうですね
去年の秋からだったですかね
巷で有名な
『鶴女房』が来たのは
ええ
見事な反物でございましたよ
手触りは絹みたいに滑らかで
綿みよりも丈夫な布で
艶々と
油を引いたみたいに輝いてね
うっすらと
翼のような透かしが入った
雪のように真っ白な反物でございました
花嫁衣装でも作った日には
どんな不器量でも清楚に見えるってもんでね
大評判でしたよ
だからですかね
あんな見事な布地が
人の手で作られたなんて
ねぇ
皆信じられなかったのでしょうよ
しかも
その女房殿は
機織りをするときに
亭主にも
決して覗かないでくれ
なんて言って織っていたものだから
こぞって
噂したんですね
女房殿は
鶴なんだ
あの布地は
鶴の羽を織り込んだ
鶴の千羽織なんだ
上手いこと言うなと思いましたよ
確かに
あの布地の材料は
綿より丈夫な
絹より艶やかな
言うなれば羽のような素材でしたからね
でも女房殿は
そんな噂
ちっとも気にかけておりませんでしたけど
明るい女房殿でしたよ
白い肌に真っ黒い長い髪が似合ってました
買い取る時も
こっちの言い値で素直に頷いて下すってね
ほら
そんなふうに接して下さるから
こっちもボッたくったりなんか出来ませんでしたよ
綺麗な織物だって
誉めると
真白な顔を
真っ赤にして首をふってね
いや
か愛らしいお方でした
私としちゃ
亭主の方が情けなかったですがね
真面目な亭主だったらしいですけど
布地が売れ始めたら
すっかり怠けちまって
ええ
ヒモですよ
女房殿も
たまに泣きはらした目で
売りに来たこともありましたっけ
そう
冬が終わって
春めいた頃でしたね
女房殿が
最後にここに来たのは
さっきも言ったように
女房殿の布は
いつだって真白な織物なんですよ
でも其れが
最後の日だけは違ったのですね
手に取った反物は
うっすらと
緋色に色づいておりました
真っ赤なわけじゃないんですけど
薄く
赤い色が引いてあったんですよ
しかも酷くやつれた顔で
此れを最後にもう織物はしないと言う
どうなすったか
聞きましたよ
女房殿はね
黙って背中を見せて下さいました
背中には
真っ赤に擦り切れた翼が
ボロボロになって垂れ下がっておりましたよ
女房殿がいうにはね
この翼は想像力の現れなんだそうで
もっと昔の人間は
この翼をつかって空だって飛べたんだそうで
もう今じゃ
この翼はすっかり見えなくなって
人は自分に翼が生えていることも
忘れてしまったそうでございます
それでも恋しく思う気持ちがあるから
思い出すのです
想像の翼を削って織った物を
美しく感じ思いこがれ
そういう反物は高く売れるんだとかで
其の
女房殿の翼は
深くむしり取ったのか 肉が爆ぜて
白い骨まで見えてね
今回の反物がうっすらと赤いのは
血が混じっていたんですよ
もう
羽が取れないから
織ることはできない
これだけ織っても
亭主は自分にも翼があることを
気づいてくれなかった
一緒に
飛んで行きたかったのに
傷薬を渡してね
せめて
と思って
高く買い取りましたよ
女房殿は
鶴になって飛んで行ったですって
とんでもない
あの人は
もう飛べやしなかった
歩いて行きましたよ
亭主の家じゃない方向へね
そうそう
その日は見事な夕焼けで
まるであの人の背中みたいに
真っ赤な夕日でね
お日様の治まる先へ
歩き続ける女房殿の
二本の脚が
長く
長く
伸びていました
だからね
あの女房殿は
鶴なんかじゃ無かったのですよ
『夕鶴異聞』
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四文字熟語【女に捧ぐ白蓮の杯】