俳句の非ジョーシキ具体例6
佐々宝砂
四二.一九五キロをみな包丁持て走る (摂津幸彦)
俳句は怖い。恐ろしい。どのくらい恐ろしいかって、「俳句」というキーワードでぐぐってみたらいい。いくつひっかかると思う。どれだけのひとが、どれだけの俳句を書いていると思う。私たち詩人がだらりんと言葉を吐いているあいだに、俳人たちはどれだけ言葉を削り言葉を巧み言葉を愛していると思う。たまには俳人を見習え、詩人よ。数の上でも。また質の上でも。言葉に対する態度の上でも。しかし人のことは言えない。私は自分のことを、五七五の定型から逃げて詩に入ってきた人間だと思っている。俳句に較べて、だらだらと詩や散文を綴ることの、なんと簡単なことか。
私の俳句の師匠は、俳人は詩人より長生きだと言った。でもそんなことないんじゃないか、と私は思う。俳句の世界にも夭折の人は存在する。「しんしんと肺碧きまで海の旅」の篠原鳳作は30歳で死んだ。「ずぶぬれて犬ころ」の住宅顕信は25歳で死んだ。摂津幸彦は亡くなったとき49歳、それを夭折といっていいかどうか私にはわからない。しかし彼の死は、俳句に関わっているたくさんの人々に悼まれた。惜しまれた。1996年のことだった、私はそのころすでに俳句に多少なりとも関わる人間だったので、そのときのことを覚えている。あんなに死を惜しまれた現代俳人は希だろう。
冒頭にあげた句は、摂津幸彦の代表句ではない、と思う。単に私が好きな俳句をあげてみただけだ。この俳句がすげえと思うなら、いますぐ摂津幸彦の句集を買え。買うのはどうもなあと思うなら「摂津幸彦」でネットを検索しろ、そして読めるだけ彼の句を読め。
俳句のサイトでこんなことを言う必要はない。摂津幸彦はそのくらいの人間だ。ここが詩のサイトだから、「摂津幸彦を読めっ」と言うのだ。今回何が非ジョーシキかって? 今さら摂津幸彦を読めと言ってることが非ジョーシキなのさ。
荒星や毛布にくるむサキソフォン (摂津幸彦)
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俳句の非ジョーシキ(トンデモ俳句入門)