「良い!」「良い!」「良い!」「良い!」
ななひと

この文章の本当のタイトルは、「ツリー型投稿詩掲示板サイトで、現代詩フォーラムのような場の評価の仕方をするとどうなるか」なのだけれども、あまりにも長いので、変えてしまった。
この文章は、ある意味で直近のオリトスさんの「現代詩フォーラムのシステム欠陥」への「私信」でもある。
オリトスさんは、「現代詩フォーラム」に来て、「肩透かし」をくらったとの感想をもらしている。
「詩人だらけだから、きっと技巧的なこととか、もしくは僕の甘さなんかはお見通しで、すごいズバズバ欠点だの改善点だの言ってく(れ)るに違いない。ピンチはチャンス!」
と述べておられるが、「現代詩フォーラム」では、そうした意見の応酬ははっきり言って期待できない。(これはけなしているのではない。)そして、オリトスさんは無言のポイントばかりが来る。私信が欲しい、と嘆いておられる。
さて、何故こうしたことが起こるか。といえば、オリトスさんは、従来の「ツリー型掲示板」を利用した投稿詩サイトのより先鋭化された形で、自分が批評にさらされることを期待して「現代詩フォーラム」に来たわけである。ようするに、詩の好きな人が集まるから、当然鋭い意見がもらえるはずだと。しかしその希望はかなわない。来るのは無言のポイントばかりだ。無言、といっても、そのポイントをどう「読む」か、で人は悩む。ポイントを入れている人は誰かは分かるわけだから、当然、「ポイントを入れていないのは誰か」も分かるわけだ。そうすると、他の詩にポイントを入れている人が、自分の詩には入れていない。要するに無視しているんじゃねーか!と深読みすることになるのである。
さて、少し視点を変えてみるために、「現代詩フォーラム」のような「コメント」(ポイント)の仕方を、従来の「ツリー型掲示板利用投稿詩サイト」でやるとしよう。こういう事になる。

・投稿詩「なんやかんや」ななひと
  └コメント「良い」加藤かずを
  └コメント「良い」福田まさを
  └コメント「良い」山田某
  └コメント「良い」ほにゃらら
  └コメント「良い」バイト君
  └コメント「良い」尿漏れ
  └コメント「良い」阿部サダヲ
  └コメント「良い」脳トレ
  └コメント「良い」竹内力
  └コメント「良い」はみ出し
  └コメント「良い」とれもろ
  └コメント「良い」うずまき


さて、「良い」というタイトルの中身を期待しながら開けてみよう。

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「良い」2007/3/21 23:00 とれもろ


 良い


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開けても開けても「良い」しか書いてない!Σ( ̄□ ̄;
これが投稿詩掲示板なら、はっきり言って、書いた人も、コメントをつけた人も「恥ずかしい人」だ。
しかし、現代詩フォーラムでは、これがそのまま通用する。
私はだから投稿詩掲示板が良いとか、現代詩フォーラムはだめだとか言いたいわけではない。(現代詩フォーラムでも、ポイントとともにコメントもつけられるわけだし)要するにオリトスさんは、期待してはいけないものを期待してしまったが故に、「肩透かし」をくらってしまっただけなのだ。
ではどうすべきか。もちろん「私信」という手段もある。しかし「私信」は、投稿者本人にしか公開されない。誰が誰に送ったかは闇の中である。だから送らない。ツリー型掲示板でも、現代詩フォーラムでも、評価する人も、評価することで、自己を表明しているのである。だから表に出ないことは、あまりしない。だから私信は送らない。(どこかでは活発に応答がされているのかもしれないが、私には見えない。)
オリトスさんは、発想を転換すべきであろう。「現代詩フォーラム」とは、オリトスさんの期待するような場ではないことを認識した上で、それでもフォーラムに発表することを選ぶか、ということである。
それをシステム欠陥、改善点として今後フォーラムが形態を変えることも十分にあり得る。そのための意見はしないよりはした方がいい。
しかしながら、その場の特性、ということは、各個人が認識し、その上で発表を行う必要があろう。出てこないものは、出てこないのだ。


散文(批評随筆小説等) 「良い!」「良い!」「良い!」「良い!」 Copyright ななひと 2007-03-22 10:26:54
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