「読んだものは読んだ」とは言えないのである。
ななひと
ある二人以上の間で論争が起こったときに、よくこういうことが起こる。
「きちんと読んでから非難してください。」「あなたは私の言ったことを誤解している。ちゃんと読んでください」
これはしごくまっとうな意見である。しかし反面、永遠に叶わない声明かもしれない。
私は昨日「「読んでないものは読んでいない」ことはないのである」を書いた。その中で私は、もし仮にその人がその文章そのものを読んでいなくても、何らかの経由でその知識は既にその人の中に流れ込んでいる、と指摘した。即ち「読んでいないものは読んでいない」ということはありえない、と述べた。
今回のタイトルは、それとは全く矛盾しているように思える。「「読んだものは読んだ」とは言えない」。人はその文章を読んだからといって、その文章を読んだとは言えないのである、というのが今回のテーマである。このことは前回の「読んでいないものは読んでいない、ことはない」ということとは何ら矛盾しない。人は読んでいないものを既に読んでしまっていつつ、読んだものを実際には読んでいない、ということがあり得るのである。
「読んだ」ということについて考えてみよう。その文章を「読む」ということは、どういうことか。例えば、「あなたの文章を読みました。あなたの言いたいことはわかりました」と言う人がいるとする。その人に質問する。「あなたは何を読みましたか?どういうことがわかりましたか?」。するとその人は、その文章について、説明を始めるだろう。しかしここで彼は既に、間違っているのである。自分はその文章を「読んでいない」ことを告白してしまうことになるのである。
ちょっとわけがわからないので、内村鑑三先生に登場してもらう。どこで言っていた言葉かおぼつかないが、内村鑑三は、その翻訳論の中で、LoveはLoveで、それを「愛」と言い換えてはいかんのである、と述べている。なぜそういうことをいうかというと、英語の「Love」と、日本語の「愛」は、その言葉がおかれている位置が全く違うから、逐語訳的に「Love」があったからといって、それを、あ、これは日本語の「愛」だ、と訳しては、誤読になる、と言っているのである。内村鑑三は、英語の「Love」は、「Leave」と語源を同じくする、すなわち、去っていく者に対する悲しみの感情と根底を同じくする、と言っている(ような気がする)。それに対して、日本語の「愛」は、「愛(め)ずる」すなわち、小さいもの、かわいいものを愛玩する、ところに発する。このように、背景を異にする言葉を、同じものとして置き換えることは根本的に間違いなのである。一つの単語ですらそうなのだから、それが文章になれば事態はもっと乖離していく。別の例として、今後は坪内逍遙先生に登場していただく。逍遥先生は、シェークスピアを日本語訳するときに、大変苦しんだ。何故かというと、例えば「ロミオとジュリエット」を翻訳するときに、ジュリエットが「城」にいて、「嗚呼、あなたはどうしてロミオなの?」と有名なセリフを言うとする。これを「城」と訳すと当時の人にとっては非常に「滑稽」なことになってしまい、困るというのである。ちょっとピンと来ないかもしれないが、今の人は映像やなにかで、「ロミオとジュリエット」のシチュエーションを何となく理解している。しかし、そうした予備知識がない当時の人に、「「城」にジュリエットがいる」と書くと、当時の人は、日本の「大阪城」とか「江戸城」のような、日本のいわゆる「城」を想起する。すると、ジュリエットが、着物を着て、大阪城からロミオに語りかけている、ような「変」な解釈をされてしまうことになってしまうのである。
今の話は、出典がうろ覚えなので、歴史的事実というより、私の「誤読」によって創り出された「幻想」の例、として受け取ってもらわないと困る。この文章を読んで、「内村鑑三は〜」とは「坪内逍遥は〜」なんて受け売りをしてもらうと困るのである。
そのように、私を含めて、「読んだ」ということを「読んだ」と宣言し、「それを「解説」しはじめるということは、本質的にどんどん「誤読」の距離を広めていくことそのものなのである。本当に「読んだ」と言うのは、「読みましたか?」という質問に対して、コピー機のように、「読んだ文章そのままを暗唱して繰り返す」こと以外に存在しないのである。「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、それこそがまさに本当の「読んだ」人なのであって、得々と論語の精神について語り始める人は、その時点で「間違っている」「論語を理解していない」のである。
そういう意味で、人は、「読んだものは読んだ」、「あなたの文章は読みました、あなたの言いたいことはわかりました」ということは、決してできないのである。人は文章を、「字義通り」に、「そのまま」理解するということは、決してできないのだ。
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