告白の日々
maynard

私は日々洗い流している。
黒い物を流し落とすたびに失っていく、糧を失った事すらあるんだった。
そしてどれだけ時が過ぎただろう。生きているのが不思議なくらいだ。

「此処は戦場か?此処は精神と言う魂を削る戦場なのか?」
錯覚してみるのだが、どうやらそれは当たっているらしい。
あのベトナム戦争の10年でのアメリカ兵の全死者の数をこの日本では3年で上回る。自らの命を絶つと言う行為で。
そこには武器も無く当然瓦礫の山も無いのだが、ベトナムより厳しい環境のようだ。
此処は戦場なのだ。紛れも無い酷い戦場なのだ。
生い茂る熱帯雨林のように敵も味方もハッキリしない。
戦場ならばライフルを握り締めれば少しは救われるだろう。だがここではそれに相応しい物を探すだけで大変なのだ。
皮肉な事だ。戦場の熱帯雨林より平和なアスファルトジャングルの方が危険が多いのだと。

ここより戦場の方がマシな訳で、ここは地獄か?

確かに言いたい事すら言えない。冗談だったとしても。
例えば「死ねよ、屑ヤロウ!自殺しちまえ!糞下衆野朗!!お前なんて生きている価値なんぞゴキブリ未満だ!」
何を言うか制限され、何を考えるか制限され、振る舞いさえ制限される。
それは何処にも示されておらず、私たちの意識に刻み付けられている。
そして人は正気より自分を守るための狂気を取る。
「そんなものは幻想だ。酔っている狂っている。」
そんなこと言ったって狂っているから通じるはずも無い。
そして人はお互い傷付け合いその傷を癒すために、心無い声を掛け合い傷を舐めあうのだ。

カッコつけてる余裕があるなら、タブーと言う悪循環から抜け出せよ。

「愚かだ愚か過ぎる。」
これを読んでこう思ったとしても、理解したとしても、狂人たちには夢うつつなのだ。
読んで吐き捨てるか、忘却の彼方だろう。
これはこれとして受け止めて、ハイハイと適当な事を言うかも知れない。
もしかしたら「そんなことは知っている」って実行も出来ないのにカッコ付けるのかも知れない。
それか自分を棚に上げるなんて愚行をするかも知れない。
「熱くなりやがって」とクールにキメて大人ぶるのかも知れない。
真摯に受け止めるヤツなんてなかなかいないであろう。
でも私は書いた。書き記した。書き示した。
何かを拾って欲しいのか?諦めていないのか?
もしかしたらこれが余裕なのかも知れない。
それかこれがこの平和なアスファルトジャングルでの私のライフルなのかも知れない。

言いたいことを言って何が悪い。
何の憂いも無く。。。。


散文(批評随筆小説等) 告白の日々 Copyright maynard 2007-03-21 02:41:40
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