忘れた
サナギ

俺は墓標を背負って歩いていて
いつもそうだから当たり前だと思うかもしれないが
背負うってのはそう簡単なことじゃない

例えば仕事だ
この仕事の成功は俺の肩にかかってると言うが
それはつまり
頑張らなきゃいけねえのは当然のこと
常に自分の健康管理を怠らないってことだ
そのために
ありとあらゆるくだらねえ誘いや遊びやなんかを断ったりするが
常にそれをこなしていく
自分がそれをやめるまで

例えば結婚だ
一家をしょって立つと言うが
それはつまり
自分と違う奴と暮らすってことについて
常に話し合いとか何とかの努力をするってことだ
そのために
ありとあらゆるくだらねえ喧嘩がおっぱじまるが
常にそれをこなしていく
自分がそれをやめるまで

あるいは子どもを育てる時
子供をおぶってと言うが
それはつまり
子供が離れていく年齢になるまで
常に死なないように見張ってるってことだ
そのために
ありとあらゆるくだらねえ心配事がふりかかってくるが
常にそれをこなしていく
自分がそれをやめるまで

常にというのは
自分が望もうがそうでなかろうが、だ

背負うことと
常に、は
離れることがない

このあやふやな身体
あやふやな意志
あやふやな連中が多い中
常にっていうのは結構難しいんだぜ

もちろん
自分がそれをやめるまでの話だが
一度背負うと決めたら
それをやめるってのは
悶絶もののかっこ悪さだ

それに背負うものってのは
それに見合うだけの価値が
自分の中では必ずあるんだから背負うんで
別に誰かに強制されたわけじゃねえだろ

しっかし何で俺は墓標なんだろうか

確かにこれは俺が決めたことだが
いつどうして決めたのかは

もう忘れた



自由詩 忘れた Copyright サナギ 2007-03-12 15:21:19
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