夢みたい(親指1000字エッセイ)
佐々宝砂

携帯電話の電池が切れかけている。私の電池も切れかけている。38時間近く眠っていない。忙しかったのではなく単に眠れなかった。眠剤がきかなかったのだ。時々こういうことがある。交替制の工場で働いていて生活リズムがめちゃくちゃなせいかもしれない。あるいは眠れないからってんでネットをさまよったりこんなものを書いたりしてるからかもしれない。

眠るのは好きだ。飯を食うより酒を飲むより好きだ。私にとって、眠りはストレス解消方法であり、娯楽でもある。私はわりと波乱万丈で面白い夢をみるからだ。下手な映画より面白い。マンガ仕立てのこともゲーム仕立てのこともある。自分が主役のときも脇役のときもある。たまに単なる傍観者のときもある。

ごくまれだが、「これは夢だ」と気づいて、夢の進行をある程度コントロールできることがある。明晰夢と呼ばれるこの手の夢が私はもっとも好きだ。たとえ夢のなかでもやりたいことができるのはたのしい。

明晰夢でもそれは所詮夢で、夢だから好きだ。でも明晰夢をみるにはコツがいる。現実に目覚めているときから、常に「これは夢かもしれない」と疑い続けなくてはならない。私はいま眠れない。眠れないこの現実も夢なのかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 夢みたい(親指1000字エッセイ) Copyright 佐々宝砂 2007-03-04 07:58:34
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