蛭に血を吸はせてをりぬ歌舞伎町(角川春樹)
角川春樹と村上春樹をごっちゃにしているひとをみかけたので、角川春樹について一度書いておこうと思う。角川春樹はかつて角川書店の社長だったが、麻薬でとっつかまって社長の座を降り、2004年に仮出所(静岡刑務所にもいたらしい。面会にゆけばよかった。って会えたかどうかわからんが)。現在の肩書きは角川春樹事務所の特別顧問と幻戯書房会長である。かなりロックな人生を送ってきた人なので、角川春樹を知らない人は、ウィキペディアでこの人の人生を垣間見てほしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%A8%B9
角川春樹の実の父親角川源義(俳号としての読みは「げんぎ」、本名は「げんよし」)がまた大物で、折口信夫に師事したのち角川書店を興した人物である。源義は、なぜか荒俣宏の「帝都物語」に登場人物として描かれている。真偽は定かでないが、「帝都物語」によれば東京に桜を植えまくったのは源義らしいよ(信じないようにね)。よく父源義は高潔な民俗学者だが息子の春樹は放蕩児という書き方をされることがあるが、実際の源義はガンコで女好きでへんてこなクソジジイだったらしい。そういうクソジジイによって築かれた角川一族、ほんとに普通でない。どのよーにくせものかは私じゃなくてすでに書かれたものがあるので興味がある向きは
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/kado1.htm を見るよーに。出版社社長の息子として生まれて本気で俳人という種類の詩人になろうとした角川春樹の苦悩が、私に理解できるとは思わない。私はそんな境遇でなくてよかったと思う。彼に比べると私は実に「普通人」である。
春樹は生き方自体がかなり非ジョーシキな人だが、俳人としての力を嘘偽りなく持っていると思う。私は彼の俳句の中で「向日葵や信長の首切り落とす」を最も愛しているが、思い出してほしい、信長の首は、実際には切り落とされてはいない。信長は自死した人なのだ。だが私は思う、信長のような人物に自死をさせるべきではない。信長のような恐るべき人物は、反抗的な放蕩児、そう、角川春樹のような人物によって首を切り落とされるべきなのだ。角川春樹はそれを承知していたと思う。だから彼は信長の首を切り落とさねばならなかった。この句は、向日葵を描いたものでも、信長を描いたものでもない。角川春樹の境涯を描いたものなのである。
冒頭にあげた「蛭に血を…」の句は、角川春樹の昨年の俳句である。まあ新しい作品であろう。この句における「蛭」とは何か。歌舞伎町に巣くう女か。あるいは角川春樹の俳句を貪り読む私か。それとも知らぬうちに角川映画の恩恵をどこかで受けてきたあなたか。否定はできない。現在の日本に生きて普通に本を読む人間は、多かれ少なかれ角川書店と角川春樹事務所の影響を受けてその血を好きに啜っている。角川春樹は吸わせている。自覚的に。
角川春樹の俳句は彼自身のサイトで簡単に読める。
「河」魂の一行詩
http://www.kawahakkoujo.com/index.html
魂の一行詩宣言というのがなかなかにすごいから、読んでみてほしい。ちなみに投稿もできる。俳句でも川柳でも詩人でもなんでもこいの一行詩のK-1なんだそうだ。投稿する勇気があったらしてきてちょうだい(私自身はわりと気が小さいので投稿しない←情けないぞ)。
亀鳴くやのつぴきならぬ一行詩(角川春樹)