服は人なり。
佐々宝砂

どれだけ制服を着てきたかわからない。

中学の紺のセーラー服、
高校の襟元あいた黒のセーラー服、
大手スーパーの制服、

化粧品工場の作業服はファンデーションと口紅だらけ、
煙草工場の工人帽はヘビースモーカーにも耐え難い悪臭、
運送会社の作業服ときたら一日でまっくろけのけ、
ラーメン屋のエプロンは油染みだらけ、
魚屋のエプロンはビニール製で血でびしょびしょ、
寿司屋のエプロンと帽子は紙製で、
書店のエプロンには「栄養と料理」と書いてあって、
一日限りのサクラのバイトはなんと喪服が制服で、
あは、そういや、
白衣着て偉そうに顕微鏡覗いたりもしたし、
警備保障会社の制服着てふんぞりかえったこともあるし、
ミニスカ履いてウェイトレスやってたこともある。

人は服で人をみる、
制服なんてコスプレだ。

なんならミニスカポリスをやってもいい、
私には公務員免許がないけど、
なんならセーラー服を着てもいい、
私は三十六歳だけど。

それでも人は服で人をみる、
話は簡単、
制服があるなら話は簡単、
たいていのものならなんにでもなれる、
たいていのことならなんでもできる、
服は万能だ。
服は人間だ。

自分を変えたくなったら、
着替えりゃいいのだ、簡単だ。

私は毎日服を着替える、
ころころころと自分を着替える、

昨日は白衣を着てお注射しましょ、
今日は警官なので逮捕してあげます、
明日はきっとメイド服だから、
「あらんいやんご主人様!」

なんだって着てやります。
着ろというならなんでも着ます。

でも詩人には制服がない。
ないんだよ。


(初出 蘭の会・4月月例詩集「制服」)




自由詩 服は人なり。 Copyright 佐々宝砂 2004-04-19 03:22:46
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