光と水、林檎
下門鮎子

ぼくはまた、
何も生せなくて水を求めるばかりか。

 水をください、舟を洗うから ぼくが
 飲むのではありません。ぼくは
 ほとんど飲まない。
 砂漠で生まれたからです。


   うそ
   うそです、ぼくはたくさん飲む
               
 
  でも舟も洗いたいし 虹も見たい 
     水のレンズの向こう
  分けられ集められた光の
 
    声がきこえる、
   光の産声。休みなく
     光をほとばしらせて笑いながら
    水をくぐって虹になる子ら。
 
     ぼくより水のほしい人がいます。
     さびしい子の家に いやというほ
     ど水を飲んで水になったぼくが降
     りていく すると光は分かり 集
     まり 虹へといざなわれるんだ。


   だから、水をたくさん――


林檎が生っている、
ぼくの無力を包んで
甘く充実して。


自由詩 光と水、林檎 Copyright 下門鮎子 2007-03-02 19:40:22
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
青い砂漠の男