可能世界と現実世界
和泉蘆花


わたしの脳に誰かがベジェ曲線を描いている。
そう、これからわたしは胡桃になるのである。
幾重にも曲線が描かれ、その細い糸はわたしの想像を拘束する。
リターン 。 …120度 。
リターン 。 …30度 。
リターン 。 …80度 。
胡桃に仕上げられてゆくわたしは、
万華鏡の世界の光の糸を一本一本と失ってゆく。
黒い螺旋。
光のワルツはテンポを下げる。
退化する蝶はくるりくるりと落ちて、
しまいには蛹の殻へ戻ってゆくのだ。
ふと、体内回帰だと思った。

胡桃になったわたしは意外にも思考することが可能だった。
しかし、創造性の世界への扉は絶たれている。
外部を遮断された世界。
この闇の中で、脱出口を見つけ出そうと必死になった。
ある歌を記憶している。
その歌に乗って、何処まで行けるか賭けてみよう。
そうすると歌回路網が出来上がり、わたしはシナプス路を歩けるようになった。
メロディーに乗って、記憶を辿って、出来うる限りのイメージを想い出そう。

わたしは道の真ん中にポツンと立っていた。
その道は何処までも果てしなく続いていた。
足がちゃんとある!
ほら、手は此処にある。
胸は? 頭は?
路上で何をしているのかと、人々はわたしを嘲笑した。
「閉じた世界の中で?
「わたしは開いた世界に立っている?

可能と現実の違いを何処まで知るかに掛かっていた。
仮りにこの次元の世界を現実と仮定してみよう。
これは相対性の問題だ。
胡桃の中にいるわたしは、閉鎖空間にいるとも考えられ、
否、内的自己宇宙の住人でも在るとも考えられるのであった。
いま此処に存在しているわたし自身は、紛れもなく人間の形をしており、
シナプス路では人々が往々しているのが確認できる。
彼らは何も知らないのだ。
すなわち、わたしの内的世界で住んでいることを。

わたしが何者かによって、胡桃にされたのと同じように、
彼らを皆、わたしが胡桃脳化させたのを知らないのだ。
そして、一人気づいた者が脱出口をまた探す。
その者は、脱出手立てが絵画かもしれないし、ある書籍かもしれない。
そうして胡桃螺旋は幾重にも増え続ける。
これを進化と呼ぶべきか退化と呼ぶべきかは分からない。
一つ、分かっていることは脱出の可能性を求め、新たなる現実世界へ移るということだ。
この宇宙が無限個の宇宙であるように。

これは幸不幸の尺度では測れないのである。
何かを解決させる時、我々は手立てを探すものだから。
その可能性を信じて、わたしは胡桃の中の現実に住むことにした。




自由詩 可能世界と現実世界 Copyright 和泉蘆花 2007-02-27 09:43:38
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