蒸発王
蒸発王

この街が奇病に犯され始めたのは
冬が明ける前だった


『蒸発王』



最初の目撃は
髪の毛だったらしいが
全ての症状は同じだった


蒸発する


感染には
物体も生き物も区別は無かった
建物も路も木も水も
そして人も
小さく笛を吹くような音と共に
蒸発が始まった
さらさらと
砂煙のような水滴が
街中のいたる所がら吹き出る
固いコンクリートや
丈夫な岩石などは
どうにか形を残していたが

人間はあっという間だった


とくに
老人や病人
疲れて弱っている人間は
ことの他早く蒸発した


精神の構造が多彩なせいだろうか

人間は蒸発すると
色のついた雲になって
空に漂っていた
色は人によって
全て違った

空に
新しく鮮やかな色の雲ができるたびに
この街の誰かが
蒸発したのだとわかるくらいだった


病は時間にも感染したのか
時は
冬を閉ざす前から動かなかった
じわじわと霧のような冬が立ち込め
街は閉ざされていた

こうして
何時の間にか
街から全ては消えつつあった


私を除いて



欲深く
命に未練が強かったせいであろうか
私の身体は原型を保っていた
髪も肌も霧の様に溶けていたが
蒸気のまま体の周りを漂い
蒸発したりしなかったりを繰り返していた
青白い霧に囲まれているので
おそらく
私が全て蒸発して雲になると
青白い雲になるのだろう

私はしばらく
大きな一面張りの窓から
一面に広がる虹色の雲を見ていた

くすんだ臙脂色の母
深緑の父
真珠色の親友
金色の恋人

この街の全ては
私の全ては
鮮やかに空へ輝いている



この街から出ることは
出来なかった



在る日
私は気が付いた
私の住む高い高い建物から
手を伸ばすと
彼らの雲に触れることが出来た
雲に触れると
まるで絵の具のような染料になって
指先についた
その染料は石につけても蒸発しなかった

私は瓦礫の中から
丈夫で蒸発しない石版を見つけ
ペンの変わりに指で

この街の詩を書き始めた

この街で生きた人の話を
詩のように物語りのように
其の人の雲から取った染料で
なぞり始めた


1つの雲を使いきると
1つの詩は終わり
人は完全に文字になった
これが終わりの終わりなのだろう
1つ詩を書き上げるたび
私は涙を零した
蒸発しきれない私でも
其の涙だけは
きちんと蒸発して
青白い雲になった

一面に広がる
この虹色の雲達を
すべて詩として昇華しきれたら
私は皆と同じようになれるのだろうか

もしも
そんな日が来たならば
私には1つだけ心配事があって
それは
今度は誰が
雲になった私を詩に封じてくるのか
ということで
今も私の指の先で
産まれ落ちて全てを終える
詩のありさまを見て


まるで私は王様のようだね
と泣いた



夕暮れさえも
霧の様に広がって
彼方の空が紅蓮に燃え
其の灯りに
虹色の雲は矢張り
どこまでもどこまでも
広がっている

蒸発都市を高く臨み

独り


わたし


詩をなぞり続けている











『蒸発王』


自由詩 蒸発王 Copyright 蒸発王 2007-02-25 19:23:24
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