高見から臨む異常さは
maynard

人類共通の敵がいないのは悲しいことだ。

情報化社会の波に飲まれ、浪々と一定方向に歩く人々。
私の目には狂気にも映るその姿。
反戦主義を唱えるだが、口先だけの戯言にもうんざり。
流行のトレンチコートを着て携帯電話を持ち電子レンジ、インターネットを使う。
すべて元をたどれば軍事技術。
携帯電話やジェット機などの生まれた影には、数え切れない程の死体が累々と横たわっている。
人類が人類を殺す為に作られた技術達はここに上げれば限が無い。
電気がこんなに豊富にあるのも原子爆弾のおかげ。
理論は科学者が起こしたかも知れないが、形にする力は軍事力。
敵に勝ると言う活力で形になった便利。
私たちは死体を踏みしめて便利を握っている。
死体と言う踏み台が無ければ到底今は存在しないモノ。
そんな事を知ってどうなる?と思うが、それは意識の問題。
自分の有様をみて反戦主義を唱えるか否かを判断すべきだ。

戦争でうまれた死体を踏みしめて今ある便利と言う現実。
おこがましくて反戦主義などと口には出来ないはず。
でもこれは一つの解釈に過ぎない事は承知。
でもこれが私の解釈であることは間違いない。

だが自分がこの世界のこの立場なのを呪うが正しいのか、そうではないのが正しいのかは判断しかねる。

それでも唱えるのか?
それなら唱えないのか?
なんて弱い生き物なんだ。


散文(批評随筆小説等) 高見から臨む異常さは Copyright maynard 2007-02-20 04:33:11
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