花 妖
水無瀬 咲耶

((時のしずくが したたるのです))

春のひかりが 虚ろな心に影を落とすので
ふたりは桜並木の まばゆい川べりを避け
淡く花びらをかさねた 甘い翳りをさまよう
寂びた石段で ひるがえるあなたのかかと
しめやかな桜のかけら そのさざなみが 
風に揺れ 瞳に揺れて 鎮まりそうにもない
さよならを紡ぎ織る花冷えのくちびる
潔白を装う指先に約束の果実の皮膜を剥がれ
風にさらされた私はずっと魅入っていました
違う未来へたやすく逃れるあなたの背中から
削がれ滑らかに崩れ落ちてゆく半透明の影を
おそらくそれはあなたへと注がれた私の半身
梢で 千の眼差しが いっせいにささやく
かすかでたおやかな 耳慣れぬ金属質の言葉

((その日から 吊るされた心は
    眠ることができないのです))

はらはらり 桜いろの涙が 散りこぼれ 
倒れ伏したむくろの私をくるみ そっと弔う
うすももの破片は つややかなうろこ
ほのかなつめのいろ くちびるのあかるみ
めざめゆく肌の まどろみの記憶
ふいに あたたかな息吹にみたされ・・・
私 さくらうおになって
 ことんこととん 優しく狂ってゆく鼓動
すべてを失っても逝くところがあるのです
 藤いろの宵闇には煌き つういっと
予定不調和の波を縫って
 銀河の底で 花花とたゆたう
誰かの音の無い眠りの岸辺をついばみにゆく

((もう 明日をはらむことができない
  涼やかな闇 さゆらぐ翡翠の梢
  けざやかな季節は 流されてしまう))


ほらごらん 淡いひかりの花ふさから
ぽとりぽとりと 時のしずくがしたたる
ざわめく波紋 もっと心をかき乱してゆけ
ここではないどこかを生きていたいのに
はがゆい川面は すぐ同じ像を結んでしまう
くだけくだかれてゆけ 水鏡
蜜いろの破片よ 浮かび上がれ
緩慢なゼリイ質の日常を泳ぐ反復
息継ぎもうまくない私は 溺れる魚
  
  桜並木には不思議な結界が張られ
  花妖は 心を異界に閉じこむ
  時間を踏み外した私の
  焦点は過去に結ばれ

((気がつくと 空から垣間見たのです)) 
  
 桜並木の川底 青白い男と艶やかな女の魚影
 さよならの時刻を 永遠にさまよっているのです




自由詩 花 妖 Copyright 水無瀬 咲耶 2007-02-19 17:21:44
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