同時多発朗読・個人レポート
服部 剛
*(この文章は、ジュテーム北村さんから、「同時多発朗読」の連絡を受けた後、
行った朗読と、過ごした時間についての個人レポートです。
なお、ジュテームさんからの連絡は「21時に」とのことでしたが
僕はそれよりも早い時間に朗読したので、この試みの主旨とは、
外れた立ち位 置からのレポートになるかもしれません。)
4月11日(日)・飛鳥山公園にて、
詩人達で八重桜の下に敷物を引いて朗読をしていた。
僕が外灯の柱にもたれて大村浩一さんの詩を「アクリル、愛に狂う」
と朗読していると、白糸雅樹さんが携帯電話を耳にあて、
なにやらうなずいているのが目に入った。
皆の朗読が終わると白糸さんは、
「ジュテーム北村さんから連絡があり、今日の毎日新聞に載っている
高遠京子さん(人質になっている菜穂子さんの母)の詩を、
タイムリミットの午後9時に、
各詩人がそれぞれに、それぞれの場所で読んでください。」
との旨を伝えてくれた。
それを聞いて、僕は正直言って、迷った。
お花見を終え、飛鳥山公園の葉桜の下をくぐり抜け、駅へと向かいながら、
どうするべきか、考えていた。
駅の売店で、奥主榮さんが「売ってるよ」と教えてくれたので、
僕も売店に行き、新聞を買い、駅のホームに入り、新聞を開いた。
高遠京子さんの詩は、「空は希望」という題で、
遠い空の下で人質になっている娘を想い、
朝日に向かって手を合わせる。という連から始まり、
雨空や曇り空も必ず青空に戻るように、
この世の困難さえも、いつかは「希望の空色」に染まりゆくことを信じて、
というメッセージを、娘に、そして世の人々に伝える、祈りと叫びの詩であった。
その、自分には解り得ぬ絶望の底から発する詩の言葉を読んだ後、
山手線内のつり革につかまった僕は、前に座っている大村さんに、話しかけた。
「詩人は、より素晴らしい言葉の表現を模索して、
時には高質で難解な詩も書くけれど、
こういう、高遠京子さんの祈りと叫びがシンプルな詩の言葉で、
読む者の胸を打つというのは、<詩の言葉って、一体何だろう?>って、
改めて考えさせられますね。」
車窓の西陽を背後から受けた大村さんはうなずき、少し考えた後、
「こういう目的で詩を発表する場合は、必要以上な難解な詩の言葉だと、
メッセージは伝わらなくなるから。」
僕は大村さんの言葉に、うなずいた。
「新宿ぅー、新宿ぅー・・・」
社内のアナウンスの後、電車は止まり、ドアが開いた。
阿佐ヶ谷に映画を見に行く詩友たちは皆、降りていった。
違う映画を見に行く僕は、一人になった。
「渋谷ぁー、渋谷ぁー・・・」
今まで迷っていた僕は、決めていた。
胸の内に頼りなく揺らぐひもを固く結ぶように。
ハチ公広場は今日も若者で溢れ、
遠い空の下で、恐怖に震え慄く人々がいることとは
まるで無関係にスクランブル交差点には人々が流れる。
平和運動をしている人々が通行人に声をかけては、ビラを配っている。
大きい車の上でマイクを手にした若者が、
日本政府に平和への道を訴え、叫んでいる。
僕は、高遠京子さんの「空は希望」という詩のメッセージを受け止めながら、
公園通りの若者達に紛れたなだらかな坂を、黙して歩いた。
代々木公園の並木道に入ると、いくつもの場所で、
路上ライブやパフォーマンスが行われていた。
「今、ここから始まる」というポジティブな歌詞を歌っている女性が
ライブを終えたので、僕は頭を下げて、「同時多発朗読」の旨を話し、
マイクの前に立たせてもらい、「空は希望」を朗読した。
夕刻の5時半頃だった。
黙って聞いている約20人の人々は、心のどこかで、
高遠京子さんの祈りと叫びの詩を、受けとめているようであった。
僕は読み終わると、一礼し、場をお借りした歌唄いの女性にもお礼を言い、
代々木公園を後にした。
「空は希望」をコピーした紙を、
渋谷のとある小さい公園の電話ボックスにセロテープで貼った。
僕にとっては、一人で路上での朗読をするのは初めてだったが、
ジュテーム北村さんから詩人達に発信された伝言を受けた
4月11日という日は、僕にとっても「空は希望」という詩を、
読むべくして読んだのだと感じる。
「今まで自分は何のために朗読してきたのか」
「詩の言葉とは、一体何なのか?」
そのふたつの問いを、改めて考えさせられた一日だった。
夜、家に帰ると、食卓の僕の席に
「北村さんから電話がありました。」という母親のメモが置いてあったので、
翌日の夜、ジュテーム北村さんに報告を兼ねて、電話をした。
この日、ジュテームさんは何人もの詩人達と話していたのかもしれず、
なかなか電話がつながらなかった。
午前零時前、ようやくジュテームさんの「もしもし」という声を
受話器越しに聞くことができた。
「4月11日」という日に、ジュテームさんの発信により、
それぞれの詩人が、それぞれの胸の内で、想い巡らせたことについて、
深夜の電話で、互いに話した。
今、僕が目を閉じると、浮かぶひとつの光景。
詩友達と集まった八重桜の木と木の間の向こう。
飛鳥山公園の広場では
公園いっぱいに、日の光に充たされた子供たちが躍動している。
僕は「21世紀という時代は・・・」と呟いた。