音のない戦場
九谷夏紀

図書館の中に
戦場はひっそりと息をひそめていた
爆音も叫びも飛行機のエンジン音やプロペラ音も
溜息も束の間の笑顔も
音のない写真に詰め込まれていて
それらは見る者の脳に聞こえてくるだけだ

図書館は相変わらず静けさに満ちていた
窓の外を見れば木々の緑が風にそよいでいる
しんとした森の中にある図書館は
ヒール音がよく響いた
書棚の合間に佇む人々は本と向き合い
みな人には無関心で
それが心地良くもある
そのおかげで
私は戦地にいるかのように
わずかながらでも錯覚することができたし
この写真から漂う戦火の煙に
包まれているような幻想も覚えることができた
戦争を知らない私は
意識上でだけでもこの写真から何かを得る必要があった

第二閲覧室の入口からずっと奥まったこの場所には
人がいなかった
背の高い書棚の上から下まで埋め尽くす背表紙は
人の誕生までさかのぼり現在まで辿れるだけの
小刻みな間隔の年代で戦いを順列していた
狂った欲と生死、嘆きと歓びが
一冊が抱え持つ文字の数だけあるようで
それが両脇の棚にある膨大な冊数分
私を責め立ててくるようだった
その圧迫感をやわらげるため
深く長い息を一呼吸つき
ここは穏やかな時が流れる図書館であったと思い直す
目を伏せて書棚の間からゆっくり抜け出すと
そこは少し明るく広い場所で
やや低い棚に大型本が収められ
戦記ではあるが他の要素が加わった書物が並んでいた
幾分軽くなった気分で私はこの写真集を手に取った
手軽さとわかりやすさがもたらす単純な揺さぶりは
何より強い力を持つのかもしれない
そこは図書館ではなくなった

写真1.
ただ目を閉じて横たわっているだけのような日本人歩兵隊員の顔は
知人が見れば名前もわかるくらいはっきりと写り
この閲覧室に調べものをしに来た学生として
私とすれ違ってもおかしくない素朴な顔立ちの若者ばかりだった
彼らは死人となり
弛緩しきった全身の筋肉でしか作られない形状で生い茂る木々の中
高く山積まれていた
その近くで数人の米兵が寄せ書きされた日の丸を広げて見ている

写真2.
辨髪の頭部が小さな台にのせられ
3つ並んで野晒しにされていた

写真3.
広大な大地に延々と続く隊列

写真4.
どこかの施設前の野外で
立ち並ぶ素っ裸の白人男女の群列
周辺には雪が積もっている

写真5.
襟のついた半袖のシャツにコットンパンツ姿のベトナム人男性が
一人捕らえられ米兵に連行されている一枚
その男性が後ろ手に縛られこめかみを銃で打ち抜かれた瞬間の一枚

その死の数と死の匂いのなかに
立ちすくめるだけ佇んで
屈み込んでしまう少し前にその一角から私は離れた
離れるほどに明るい空間に救われて
身体にあたたかみが戻るようだった
図書館は変わらず静かだ
しかし私の耳に
ヒール音は聞こえない
頭には轟音が鳴り響いて止まない

あれらの写真をもっと見なくてはならない
戦場は人目にさらされなければならない

あれらの写真をもっと見なくてはならない
次に私があの写真を見た時には
もう同じような衝撃は訪れないとしても

あれらの写真をもっと見なくてはならない
写真の戦場より今の日常がまさってしまうのだとしても

あれらの写真をもっと見なくてはならない
きれいなことやものに憧れる人の性と
生存と領域を守るために戦う生き物の性を
人は併せ持つのだとしても

あれらの写真をもっと見なくてはならない
あのおそろしい光景は私たちが持つおそろしさであるから

あれらの写真をもっと見なくてはならない
人の歩みが同じことの繰り返しに思えても

あれらの写真をもっと見なくてはならない
かなしさで覆ってゆくだけでも防げるものがきっとあるから




自由詩 音のない戦場 Copyright 九谷夏紀 2007-02-13 22:06:55
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