犬をめぐる文学的断章
葉leaf

目覚めのとき、夢の表象が、広がり続け硬さを増す内部へと吸収されるとき、あらゆる色を超えた色をした薄片に、「犬」がそっと重ね合わされる。押し寄せてくる覚醒の光や事物、そして世界に対抗して、私は「犬」の重ねられた薄片を、愛読書のように、慈しみ保ち続ける。この時点において「犬」には何の形もなければ色もない。犬の持つあらゆる属性を削ぎ落としてもなお残る、無のようなもの、それが「犬」である。すべての無は「犬」なのかもしれない。だとすると「犬」は非世界を覆い尽くしていることになる。

朝早く犬小屋の前に立つ。朝のあらゆる事物にとって、名前は贅沢な装飾品である。朝のあらゆる事物にとって、闇は辛うじて守り通したその本質である。朝のあらゆる事物にとって、形はいまだ十分に獲得されていない。事物は形を安定させるために、存在を焼き尽くすような苦痛を味わっている。犬は出てこない。犬小屋の中は恐らく空間ではないから、犬は想像もつかないような眠り方をしているに違いない。フンだけがある。私はきっと犬ではなく犬の生理を愛しているのだ。それゆえフンにさえ明晰な愛情を感じる。犬の生理の中枢で反目し混ざり合った衝動とグロテスクさが、いくつかの毛羽立った切断面を通過したのち、臭いとしてフンから放たれる。愛情は嫌悪の表面で転がり、嫌悪が不意に波立つとき、私はフンから目をそらす。フンを片付けるのは父の役割である。

昼、犬小屋の前にやって来る。犬は腹ばいになり光と熱を浴びている。犬が楽しんでいるとき、犬は不在である。犬の不在を、今、温かさが埋めている。私は柔らかい蒸気として犬の不在を埋めようとするが、犬が私に気づいたとたん、犬の不在は犬によって埋められてしまう。犬は後ろ足で立って、前足で私の脚にじゃれつく。しっぽを振る。犬は、動けば動くほどますます本物の犬になる。それに対して私は、行為すれば行為するほど偽物の私になってゆく。私は偽物になるまいとして、行為したい欲望に耐えてみるが、すぐに欲望に負けて、犬の頭をなでてしまう。犬の関節が滑らかに動くのは、過ぎ去った夜の冷気が関節を組成しているからだ。犬が喜びで身を震わせているとき、犬の内部はもっとも冷たく、そして死んでいる。

夕方、犬が吠えている。猫を認めたのである。吠えているとき、犬は、数匹の犬が融合したかのように犬である。猫は犬の前をすばやく横切る。逃げるとき、猫は、自らを構成する数匹の猫が離反してしまったかのように猫である。日光の一部が、犬の毛を軽く梳いている。犬の吠え声は大きいので、しばらく私の衣服に貼り付いて、はがれるどころか衣服の色にまぎれてしまう。犬はさらに吠える。犬の吠え声は遠い円環を走って、空の裏側にいるもう一人の私へと届き、もう一人の私を熱い物体で埋め尽くす。私は目覚めたままもう一度目覚め、そして目覚め続け、やがて目覚め終わる。その間に犬は犬小屋へと戻る。鎖の音が犬の毛色に酷似する瞬間があり、その瞬間に私は、「犬」の核心をつかんだような気がした。


自由詩 犬をめぐる文学的断章 Copyright 葉leaf 2007-02-02 20:45:45
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