3度目の原爆
はじめ

 2007年 1月24日 午前7時26分 東京にインプロージョン方式のプルトニウム型の原子爆弾が投下された
 東京は一瞬にして吹き飛んだ
 3度目の悲劇がこの現代の日本に訪れたのだ
 投下後の様子はすぐさま世界中で中継された
 すぐに投下国は国連に征圧され 国の最高責任者を処刑し 東京の復旧作業に全力を注いだ
 復旧作業の様子は毎日24時間生中継され 世界中のNPO法人らが復興と再建にあたった
 新宿区の高級マンションに住んでいたある一家の父親と長女は通勤・通学ラッシュの中 地下鉄を降りた直後に被爆した
 母親と今年幼稚園に上がる次女はマンションの47階にいたが 途轍もない破壊力の為にマンションは一瞬にして吹き飛び 母親は次女を庇うこともできずに遠くへ飛ばされ死んだ
 東京は瓦礫の山と化していた 人の影が無数に存在していた 人々は肉体を探す為に魂が影となって彷徨っていた 空には放射性投下物が溜まり 濡れ羽色の雨が降り続いていた 辛うじて生き残った生物達も 大量に放射線を浴びていて 生物濃縮が始まっていてどうしようもなかった 影は雨に打たれながら うぉうおう と叫び この世の虚しさを嘆いた
 しかし 瓦礫の山から這い出た あの次女は奇跡的に怪我もしていず 放射能も浴びていなかった
 彼女はこの非常に殺伐とした景色に畏怖していた
 彼女は近くに母親がいないことを深く悲しんで 大破したコンクリートの壁の屋根に体を隠して 黒い雨や死の灰や他人の肉体を探し続けている影から身を守っていた
 三日三晩 彼女は雨宿りをし続けた 誰も助けには来てくれなかった 一日中真っ暗で彼女はモノクロの映画を見ているようだった(実際に彼女はモノクロの映画を見たことは無かったが) ただ空腹と寒さと寂しさに耐えられず 泣き喚く毎日だった
 しかし 次の日に彼女はこれまた奇跡的に国連軍の兵隊に助けられた この日は雲の切れ間から太陽が射し込んでたしかに存在していた東京都庁のある方角へ光が向けられていた 国連軍のジープでチョコレートを頬張りながら見た景色は 彼女にとって一生忘れられないものになったであろう


自由詩 3度目の原爆 Copyright はじめ 2007-02-01 13:59:59
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