夜雪酒
蒸発王

我が家には
幼馴染の家蜘蛛がいる
子供の頃から一緒なので
年齢は私よりも年上なのだろうが
1.5cmの小さな蜘蛛だ
気が向けば晩酌くらいはする
私と蜘蛛はそんな仲だ


『夜雪酒』


窓からの冷え込みが
じわじわと染み出す
真夜中
酔っ払った蜘蛛は
おしゃべりで
呂律の回らない顎でこんな事を言った


  暖冬だ暖冬だといっても
  毎晩毎晩
  雪は降っており
  それが夜を含んだ
  濃度の高い夜雪なものですから
  皆
  そうとは気付かないだけなのでしょう

  ヒトが想うより
  雪は繊細で
  犯され易いものなのですよ
  空が醸し出す『夜』の気が多いと
  天の頂上から落ちてくる雪は
  長い落下の中で
  じわじわと夜に犯されて
  着地する頃には
  すっかり夜色に染まっているのです

  だから真夜中の雪は見えません
  見えない代りに
  夜の空気は冷え込んで鋭利に尖り
  吸い込むとチクチクするのです
  ほっておくと器官に夜が溜まって
  咳が出たり鼻水が止まらなくなります



  良い事と言えば
  そう
  黒い空は吸い取られた夜のぶんだけ
  少しだけ柔らかくなり
  冬の星座が善く見えるのです
  もっとも
  シリウスやプロキオンが零れ落ちそうな程
  夜空から身を乗り出しているのを見ると
  奴らも雪みたく
  落ちて逝きたいのかもしれませんね


  独りは
  寂しいものですから


  雪で無くとも
  人で無くとも
  何かに犯され
  染められて
  落ちて逝きたいのでしょうよ



  ああほら
  善けない
  私も酒に染められてしまった


蜘蛛は笑い
釣り下がった姿勢のまま
くるくると回った

黒い蜘蛛の足は
米酒の白さで少し白くなっていた
私は窓を開けて振ってくる夜色の雪を
おちょこで受け
蜘蛛に渡したら
夜雪を飲み干した蜘蛛は
元の黒さに戻り
満足げに『甘露』と言った

其れを聞いて
私も夜雪を飲んでみたら

先日染め直したばかりの
セピアカラーが髪から落ちて
夜色に侵食されてしまった
絶句する私に

蜘蛛はそちらの方がお似合いです

笑った




私達は

寂しいものですから

何かに染められて

落ちて逝きたいのかもしれません










『夜雪酒』



自由詩 夜雪酒 Copyright 蒸発王 2007-01-23 22:06:00
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