最期の写真家
蒸発王
それでも止めないのは
あの一言のおかげだと思っている
『最期の写真家』
気付いたのは
老夫婦の写真を撮った時だった
仲の良い夫婦で
金婚式の記念にと
シャッターを振った
連続して何枚か撮った写真の中に
1枚だけ
十六・七歳の少年と少女が映っていた
心霊写真かと思い
其の写真だけは渡さなかった
それから暫く経って
老夫婦は
事故で亡くなってしまった
葬式にはつい最近
僕が撮ったばかりの写真が並べられた
ますます不気味になって
スタジオの師匠に尋ねると
写真屋には稀に
そういう人間がいるらしい
つまり
人生がまもなく終わってしまう人の写真は
僕が撮ると
その人が『生きるべき人生』の中で
一番輝かしい年齢になって現れる
だから僕の撮る写真の中で
実年齢とは違った写真が現像された人は
もう長くないということだった
その事実を聞いてから
僕は写真を撮るのが怖くなった
サポートはするけど
シャッターを切るのは全部師匠に任せた
師匠は僕が成長できないだろうと
叱り飛ばしたが
もしもまた若若しい写真ができたらと思うと
僕はカメラの後ろに立てなかった
十一月
スタジオは七五三の客で満員で
師匠はいつもに増して機嫌が悪く
人手が足りないからお前も撮れ と唸った
若い家族連ればかりだから
少しだけ安心して
僕はシャッターを切った
出来上がった写真の中に
1枚だけ
若い女の人が映ったものが出てきた
真っ赤な地色に桜の小紋が散らされて
成人式の写真のようで
元々は
少女の写真だった
僕はスタジオに来れなくなった
師匠も何も言わなかった
あの少女が
何時死ぬのか
そればかりを考え
もしかしたら自分が撮ったから
あの子は死んでしまうのではないかと思った
それでも
写真が好きで
どうしたら良いか判らなかった
引きこもって
冬
ある日
師匠がやってきて
あの子が死んだから
今から家に写真を届けに行くぞ と言った
放心した僕を
師匠はものすごい力で引っ張って
葬式の準備をしている
あの子の家へ連れていった
両親の前に引きずり出された僕は
まるで死刑囚のような心境で
師匠が写真を引き渡し
事情を説明する間に
合いの手を入れるように謝罪を繰り返していた
写真の中の彼女に似たお母さんは
目をしょぼつかせて
写真を覗き込み
泣いてから
やがて
頭を下げて
ありがとうございます
と言った
娘は生まれた時から心臓が悪くて
10歳までは生きられないと言われていたのです
それが
こうして写真の中だけでも
こんなに綺麗に育った姿を写して頂いて
本当に
本当に
ありがとうございます
涙が
出た
僕は
泣きながら呂律の回らぬ舌で
ごめんなさい と
ありがとうございます を
叫んだ
そうして僕は
最期の写真を撮るようになった
最期の写真を撮っていると
辛い事は本当に多く
それでも
それでも止めないのは
あの一言のおかげだと思っている
(ありがとうございます)
『最期の写真家』