遠い鐘音
服部 剛
幼い頃に広かった幼稚園の庭。大人になって訪れると
不思議なほど狭くなっていた。密かに憧れていた保母
さんは、ふたりめの赤ちゃんをだっこして。お腹の太
ったおばちゃんになっていた。
年を重ねるごとに時計の針は速く回り、コマ送りで背
後に遠のいてゆく日々よ。八十年の人生は、思いの他
あっけなく過ぎ去る宇宙のなかの塵。
( 地球というあの青い惑星には、無意味に思えるほ
( ど、無数の塵が蠢いていた。それぞれの、一人の
( 人間のさも重大であるかのように十字架背負う生
( 涯は、やがて無数の塵となり宇宙へと還る。
巻き戻せない去年のある日
突然自らの生を閉じた人がいる
そして何事も無いかのように年を越し
全国の寺では蟻粒の者たちが初詣の行列となり
無数の小銭を響かせる
( 誰かの遺言が綴られた
( 一枚の手紙
( 無風の闇にゆらめいて
群衆に雑じった孤独者が、いつまでも続く日々に流さ
れながら、時折ビルの間の顔の無い空を見上げて、自
問自答を呟いている。( 縮んでゆく・・・狭まって
ゆく・・・この世界の、時間と空間は・・・)
( ビルの屋上に、自らの生を閉じた人の影 )
*
今日は久しぶりの休みであった。祖母が作った鏡開き
の汁粉を食べていると突然電話機が鳴り出し、受話器
越しの上司は同僚の夫の急な他界を知らせた。
今夜、独りきりの闇に覆われている同僚について
または新しい命を身篭っている他の同僚について
足を踏み入れずに、立ち尽くしている私について
時計の針の回転が
速まってゆく日々のなかで
何かを置き去りにしてはいないか
瞳を閉じていないか
耳を塞いでいないか
( 誰かの遺言が綴られた
( 一枚の手紙
( 無風の闇にゆらめいて
( 夢の内に目覚めると
( 心の深淵に広がる宇宙
( 遥か遠い場所から響く鐘の音
( 今・世界の何処かで
( 途絶えた誰かの生命
( 誕生した誰かの産声