最後にワルツを
蒸発王

貴方ともう一度だけ

最後に



ワルツを




『最後にワルツを』


教師生活で
一番長く努めた
其の学校の廃校が決まったのは
年の瀬を過ぎてすぐだった

白い雪が点点とするの森の中
茶色の愛車は完全に景色に溶け
淡零な一月の空は
一寸でも配合を間違えると
直ぐに曇りから雪に変わりそうだ


私がこの学校に赴任したのも
季節の外れたこの時期だった


赴任したての時期は
男の音楽の先生
というものが
山中の子供達には新鮮だったようで
 弱そうだ
などという酷評を頂きながら
子供達の言われるまま
リクエストされた童謡を弾いていた


ある日の放課後
童謡ばかり弾いていた私は
指慣らしにと思い
私の好きな曲

ショパンの
『別れの曲』を弾いた


不思議なことに


曲が進むにつれて
鍵盤が軽くなっていったのだ
以来
他の曲はそうでもないのに
別れの曲を弾く時だけは
ピアノの鍵盤が軽くなった
軽すぎる鍵盤というのも弾きにくいのだが
ピアノは
絶妙に弾きやすい軽さで踊っていた

このピアノは初めて弾かれたであろう
ショパンが気に入り
私にリクエストしているのだ
と気付いた
1日の終わりには必ず
別れの曲を弾いた



何十年か
私は其の音楽室で過ごし

故郷に戻った



廃校が決まって
校舎が取り壊されると知った今


もう一度
あのピアノに会いたくて
取り壊しの1日前に
学校に着いた

古い木造の校舎
土と
古くなった木と
日だまりの匂い
音楽室


ピアノは居た


時刻は放課後
黒い塗装の艶が夕日を映して
茜に輝いていた


フタを開けて
鍵盤に指を滑らす


もちろん弾くのはショパン



『別れの曲』


一音一音
あの日々が思い起こされて
変わらずにピアノ鍵盤は軽く
音色は懐かしむように響き
夕日のせいか
ほんのりと暖かくなったピアノが
少し泣いているように感じた


最期の音色


未練が残るから
この一曲に心を込めて
さよならをした



学校から出る時

  素敵な音色でした
  レコードを聞いてらしたのですか?
と守衛から尋ねられた
  いいえピアノを弾いていたのですよ
と応えると
  それはおかしい


あのピアノは一足先に解体されたのだ という


駆け足で音楽室に戻れば
ついさっきまで居たピアノは
何処にも居なかった


ああ

そうだったのか


“別れの曲”


最後に
もう一度だけ

君とワルツを





さようなら 先生







『最後にワルツを』


自由詩 最後にワルツを Copyright 蒸発王 2007-01-10 20:17:55
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