■批評祭参加作品■ 「 無言の遺書 」  
服部 剛

一 

 今日は一月三日で正月休み最後の日なので、昼食に餅を食べた後、
毎年必ず初詣に行く寺へ出かけた。子供の頃からこの寺に連れて来
た両親とは今も共に住んでいるのだが、二十歳を過ぎた頃からこの
寺への初詣は一人で来るようになり、それ以来、一年間神棚に置い
ていた木の札を納めに行くのは私の役目である。自転車のペダルを
漕いで十分も走れば左右に迫力ある姿で仁王像が立つ大きい門が現
れる。門をくぐって石段を上がると本堂でお経を唱える坊さんの声
が聞こえて来る。まだ三箇日ということで、石畳の境内に人々は賑
わっていた。紙袋に入れた去年の札を本堂内の大きい木の箱に入れ
た後、賽銭箱に小銭を投げ入れ、両手を合わせる。本堂を出て、小
さい観音像を濡れたたわしで洗い、桶で掬った水を流す。除夜の鐘
を一回鳴らした後、紙コップに入った甘酒を手にテント内の長椅子
に腰を下ろす。こうして毎年同じことをして、私の一年は始まる。
紙コップから湯気を昇らせる甘酒を飲みながら、今年も当たり前の
ように年を越したことを何気なく感謝しながら、ふいに浮かんだの
は、去年世を去ったある若き詩人のことであった。 

二  

 人それぞれの人生の在り方を想う時、短距離走者と長距離走者の
二つに分けられると言えよう。ある者は、流れ星の閃光を残すよう
に短い人生を終え、ある者は杖をつきながら縁側まで歩き、日向に
腰を下ろしては昔のことを想い出すだろう。次に引用する私の詩は
五年前の夏に、まだ若い妻が亡くなったことを友人から聞いた翌日
に書いたものである。 


  道半ばで人生の線路を下車した者がいる
  発光する四つん這いの肉塊で
  闇へ伸びる線路を這い続ける者がいる
  点在する道しるべの灯に呼ばれるように

  小さき花等 笑い 揺れる 丘の上
  白いマリアの胸に抱かれた幼子の瞳をみつめ
  生の意味を問う若い頬を夜風は拭い

  見上げた空には
  蠍座のアンタレスが
  いつまでも 赤い光で 燃えていた 


 僕は今でも、誰かの訃報を耳にする度にこの詩を想い出す。そし
て、世を去った人がまだ若く可能性のある人である場合、私達には
見えない空の上から、地上のあらゆる人生の物語を綴っている「姿
の無い作家」にその理由を問わずにいられないのである。 

 今年もまた一人、若き詩人が世を去った。しかもその知らせを聞
いたのは、彼が世を去ってから数ヵ月後のことであった。 

 私は彼とたった一度だけ会ったことがある。三年前の夏に大阪で
行われた朗読イベントに出演した時、彼も出演者の中の一人であっ
た。その時はまさか、彼が二年後にこの世を去るとは思ってもいな
かったので、挨拶程度しか交わさなかった。一生の間で人は多くの
出逢いを重ねるが、同じ方角の道を共に歩む人との出逢いもあれば、
道の向こうから歩いて来るお互いの存在を一瞬気に留めながらも、
何故かすれ違ってしまう出逢いもある。僕と彼の出逢いについてい
えば、三年前の夏に行われたあの朗読会の夜、お互いを知ることな
く通り過ぎてしまった。 

 僕はしばしば詩友の岡部淳太郎さんと詩の合評をして、お互いの
詩がよりよくなる為にいろいろと論じ合うのだが、昨年末の十二月
三十日は岡部さんが主催の同人誌「反射熱」創刊号が誕生したので
高田馬場のジョナサンに同人で集まり祝杯を挙げ、その後岡部さん
の自宅で行った合評は深夜まで及んだ。その合間に、岡部さんが亡
くなった若き詩人について書いた「忘れること、忘れないでいるこ
と」という文章をプリントアウトして渡してくれたので私は隣の部
屋に行き、一人になって読んでいると、そこには岡部さんの切実な
想いが語られていた。 
 岡部さん自身が二年以上前に妹を亡くしているので、夭折の知ら
せを聞くと他人事とは思えないのであろう。その才能に惚れこむ程
の若き詩人がすでにこの世にいないことを知った時もかなりショッ
クだったということ、そして彼が亡くなったことが知られてから更
に数ヶ月が過ぎて、時の流れの中で彼のことが忘れ去られてゆくこ
とに耐えられない気持が読んでいて伝わってきた。 
 読み終えた私は岡部さんがいる部屋に戻り、今は亡き若き詩人に
ついていろいろと語り合った。そして、岡部さんの文章を読んで感
じたことを語った。壁に掛かった時計を見ると、すでに深夜二時が
過ぎていた。  

「  淳太郎さん、過去の出来事やかけがえのない人さえも忘れ
  てゆくのが世の定めかもしれないけど、亡くなってしまった
  若き詩人について、僕等が今こうして語り合っていることか
  ら始めるしかないと思うよ。それにしても、この世にはあま
  りにも早く去ってしまう人がいるのは何故だろう・・・そし
  てこの世に残されたものの生には一体何の意味があるのだろ
  う・・・?そう僕等も問われている気がするよ・・・僕等が
  本当にいい詩を書く為には、その誰から出された訳でもなく
  問われている答を、これからの人生で探し続けなければなら
  ないのだと思うよ・・・ 」 

 深夜二時の部屋にひと時の沈黙が流れた後、岡部さんは座ってい
た椅子の向きをパソコン画面に向けて、大切に保存していた今は亡
き詩人の詩を出してくれたので、私は画面の中から語りかけて来る
それらの詩を食い入るようにみつめながら、小声で朗読した。 





散文(批評随筆小説等) ■批評祭参加作品■ 「 無言の遺書 」   Copyright 服部 剛 2007-01-07 01:05:21
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