猫を轢く/チアーヌ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アンテ 
- 銀猫 
轢かれた猫は不運でしたが、こんな風に大切なことを伝える人を恨んだりはしないと思います。
お母様の語るところがとても優しくて、愛情に満ちて生きてこられた方なのだな、と感じました。
- かぜきり 
- るか 
- 落合朱美 
- 千波 一也 
私の住む地域では猫の他にキツネや鹿とよく遭遇をします。
轢かないように、と気をつけて 私は運良く免れています。
が、轢かれてしまった生きものを目にすることは多々あります。
その後どうなるのだろう、と常々感じていたので、
たいへん興味深い散文でした。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 大覚アキラ
子供の頃から、実家では常に動物を飼っていて、これまでに猫3匹、犬2匹を飼いました。すでに5匹ともこの世にはいません。ぼくには信仰心みたいなものはあまりないし、あの世とか前世や来世みたいなものを信じているわけでもないんだけど、なんとなくこの5匹は今もぼくの傍にいてぼくを守ってくれているような、そんな気がします。
なんだかちょっとメルヘンチックで恥ずかしい告白なのですけどね(笑)、車を運転しているときに、轢かれて死んでいる動物たちを見かけたときは、例の五匹に「あそこで轢かれちゃってる子のタマシイを、とりあえずどっかわかんないけど道案内してやっておくれ」と、心の中でお願いするのです。そして心の中で、その5匹に導かれたその子が、どっかよくわかんないけど“上のほう”に連れて行ってもらってる様子を想像します。そんなことは何の足しにもならないのだろうし、単にぼくの気持ちを満足させるためだけのものなんだろうけど。
 
作者より:
>大覚さん

わたしの実家でも、小さい頃から猫も犬も鳥も飼っていて、母親が猫好きなので、猫は代々続いて今もいます。ずいぶんいろんなペットが実家で死を迎えました。
母も出産のときに猫に守られたとよく言っていました。わたしを産むときに大変な難産だったのですが、その最中に母の実家でかわいがっていた猫が死んだのだそうです。
死んだペットに守られているような感情って、なんとなくわたしにもあります。
大覚さんのイメージすごくいいと思いました。優しいなあ。
そうやって、轢かれて死んでしまった子たちが天国にいけたらいいなあと思います。あまりにも可哀相な姿で放置されている場合があるので・・・。せめて魂だけでも「上の方」に行ってくれたら。
そして、そういうことってわからないなりにあるようなことだとわたしはなんとなく思うのです。

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