かくかくしかしか/書く掻く詩か死か --詩と詩人についての雑文/
岡村明子
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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いとう
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狸亭
「詩」は何処にあるか、について。「詩(作品)」は眼前にあり、その「詩」とその詩を読む「読者」の間に成立して消えて行くものだ、と思います。詩作品はポエムであり、ポエムから伝わって来る「感じ」をポエジーだと理解しております。
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佐々宝砂
じっくり読ませていただきました。いいもの読みました。ところで、カテゴライズに関する私の雑文は、決して岡村さんの言葉だけに触発されたものでなく実は某触発(?)に触発されて以来書きたかったことなのです。
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石畑由紀子
詩がひとたび外に出れば詩は作者のものではなくなり、読者が持つそれぞれの軌跡の中で読解される。言語が本来持っている語彙以上の働きをするさまを読者の軌跡が拾い続ける限り、詩はある意味永久に未完であるのかもしれませんね。よいものを読ませていただきました。
作者より:
狸亭さん>深いですね。アトモスフィアというか。
佐々さん>そうでしたか。その某触発も気になりますね。
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