現代日本の専門詩誌における「難解さ」の制度的生成/
atsuchan69
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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海
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鏡ミラー文志
丁度昨日、呉智英著作の『吉本隆明という共同幻想』を読んでいたところです。
吉本さんの文章は難解を極め、その難解さこそが評価される所以でもありました。
理屈は多く矛盾を孕み、その矛盾に目を瞑り、多くの人々は吉本さんを支持し、影響まで公言した。
知識を持っていることは魅力ではあるけれど、難解さそのものを武器にすることはいいことではないと思います。
そういう閉鎖的な世界を作ることで、自分達の価値の確認や、特権意識のくすぐり合いをして成り立つ世界。
大衆というのは専門という分野に自分たちを押し込め、それを疑わない人々のことであるという言葉を思い出しました。
餅は餅屋と言うけれど、外へ行けばパンを売っている人に出くわすこともある。時にはパンについて考えることが、餅を多く売ることにつながることもあろうかと思います。
その視野を失わないまま、専門分野を同時に持つと言うことが大切なように、思います。
作者より:
海さん、ポイントをありがとうございます。
鏡ミラー文志さん、ポイントをありがとうございます。
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