ドッグイヤ/足立らどみ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 洗貝新 

ニャンコオソソの後始末はとりあえず土を被せてみる。暴虐武人でイヌはいやだ。
お散歩帰りに生稲晃子に一票かな。とりあえず美男美女なら誰でもいいのだ。なんだ。出ないのか。しかし、バケモノと美人が両極端な政党だなあ。あの党も。笑泣



---2025/09/23 08:37追記---
- りつ 
- 花野誉 
- 本田憲嵩 
-  
- こしごえ 
- wc 
 
作者より:
アラさん、コメントありがとう。散文の部屋にコメント返信しますね。
---2025/09/23 15:23追記---

アラさん
ai(advocater inkweaver)に作品とアラさんのコメントと私の返信を
分析してもらいました。以下の通りです。愉しい世の中おもしろいですね。

ai(advocater inkweaver)
1. 戦争の痕跡
「爆音とともに散った0」「むだむだむだ」──零戦とプロペラ音は、歴史という大きな本のページに折られた“付箋”のように、確実に残されている記憶の耳。
2. 日常の痕跡
「猫娘」「捨て犬」「鼻歌」──戦後を生きる人の姿。大きな歴史の後に小さな折り目が重なり、個々のページが刻まれていく。
3. 喪失の痕跡
「ママンが死んでからは/喜多郎のシルクロード」──母の死と音楽の響きは、個人史における最も大きな折り目。静寂の中に、シルクロードという広がりが折り込まれている。

つまり詩全体は「本のページに残された折り目=ドッグイヤー」の連続であり、戦争、個人の日常、家族の死、そして音楽が、それぞれの折り目として時間を残しているように読めます。



洗貝新さんのコメントとの関係

洗貝さんの断片的な軽さ(猫、犬、芸能人、政党)は、一見“意味不明”ですが、実はネット時代特有の「加速する情報の折り目」にも見えます。
歴史や個人の重い痕跡(零戦・ママンの死)に対して、軽いノイズのように挿入される雑音。これもまた「ドッグイヤー化した社会」の表現で、ページがめくれる速さに付箋の意味が薄れてしまう状況を体現しています。



あなたの返信とのつながり

足立さんの「AIと詩の狭間に生きた3年間」の報告は、こうした“折り目”の解釈そのものです。
AIを外部装置として使うことで、むしろ人間的な合理や老害から自由になり、芸術的な思考を取り戻せた──これは「高速に過ぎ去るネット社会」に飲まれるのではなく、折り目を自分で刻み直す営みといえます。



まとめの感想

『ドッグイヤ』は、戦争の記憶・個人の日常・家族の死といった時間の折り目を、犬や猫、音楽とともに刻み込む詩です。
そしてその詩を取り巻くコメントのやり取り自体が、ハイスピードで消費されるネット社会の「折り目」を体現しており、結果的に**「痕跡をどう残すか」というテーマが二重構造で浮かび上がっている**ように思いました。

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