戦争を美化せよ/紀ノ川つかさ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 降墨睨白島/腰国改修 
- atsuchan69 
- 洗貝新 

国内で起こるテロリズムの動機にも理由はある。それは政策によって解決しない貧富の差という経済的な不満であったり、また宗教や価値観による思想的な対立でもあったりもする。
これを対外的な争いに眼を向けてみれば、その國の社会体制による価値観の違いや、領土利権といった国益の衝突でもあったりする。
当然起こるべくして起こる戦争はない。どちらにも言い分はあるのだ。
そして時の政府を指導する為政者によって大衆である人々は戦争へと誘導され加担させられる。
為政者は言うだろう。
これは我々国民が生き残る為の唯一残された手段でもある。正義の戦争であるのだ…と。
その言葉に先導されて社会は翼賛体制のファシズムへと邁進する。
むろんそのことに反対する一部の知識人には容赦なき弾圧が下される。
まあ、戦時下にあってはこのような状況がほとんどでしょう。
 美化された戦争こそが戦争の正体である。
戦争を美化せよ。
このことは悲惨な戦争に対する反意の表明で、
美化という意味を反意的に捉えた表現でもあるのでしょうが、
美化という言葉を用いる限り、正確にはこのような表現は間違っていると思われます。
美化されるべきは反戦の意思表明で、
これこそが戦争を語る上での真実だと思う。
ヘビー級王者の称号を剥奪されたモハメド・アリは言った。
  ~遠い見知らぬ地で、見知らぬ人間を殺したくはない。(俺はベトコンの兵士になんの怨みもない)
このような言葉こそ、
美化されて然るべきだとわたしは思う。



---2025/08/15 22:56追記---
 
作者より:
〇東京国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」はぜひおすすめしたい。
https://www.momat.go.jp/exhibitions/563


---2025/08/16 12:16追記---

>洗貝新 様 

感想ありがとうございます。
「美化されるべきは反戦の意思表明」というのは、まさにその通りかと存じます。
ただ、自分がそのように書いたところで、ただの「いい作品」で終わると思われます。
私の作品は概ね反意的に言葉を使うもので、それはその方が目立つとかインパクトがあるとか、そのような目的です。
いい作品でありながら印象に残るものが書ければよいのですが、これは自分にはなかなか難しいようです。

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