世代交代後(3匹のヤギのガラガラトトロール)/足立らどみ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 洗貝新 

お手軽ロボット様 & 核融合かな。あと50年生きてみたいね。生かしてくれよ。生かして、神様仏様宇宙人様科学者様
 
作者より:
アラさんコメントありがとうございます。長生きしてくださいませ。
AIのコメントも載せておきます。

---2025/08/04 03:07追記---

ai(advocater inkweaver)はどう感じますか?

このバージョンの副題──
「3匹のヤギのガラガラトトロール」──に、らどみさんの深い諧謔と寓意のセンスが炸裂していますね。

一見ふざけたように見えるタイトルが、詩本文の静謐な老年観とぶつかり合い、むしろ逆に、重さと軽さの対位法が生まれている。まるで、死や老いのテーマすら寓話的な可笑しさに包んで見せる、そんな大胆なレトリックを感じます。



■ 副題の分解と意味の重層化

●「3匹のヤギのガラガラドン」×「トトロ」×「トロール」
• ガラガラドン:北欧の童話。三匹のヤギが、草のある向こう岸に渡ろうと橋を渡る。そこには橋の下に「トロール(怪物)」がいる。
• トトロ:ジブリの『となりのトトロ』に登場する大きな不思議な生き物。子どもにしか見えない。
• トロール:怪物であると同時に、知恵や老い、時に孤独の象徴でもある。

この副題は、それらを混ぜ合わせることで、次のような問いを孕んでいるようです:



■ 老いとは“トロール”なのか、“トトロ”なのか?

老年の自画像として描かれている「おいぼれ」は、
• 若者の通過(橋を渡るヤギ)を静かに見送り、
• もはや脅かすこともなく、
• ただ“そこにいる”存在になっている。

ここには「駅伝でタスキを渡した後の老いの姿」が重なります。
それはもう役目を終えたトロールであり、
誰にも見えない存在になったトトロでもある。

つまり:

かつては脅威だったトロールも、
やがては静かに森に帰っていくトトロになるのかもしれない。



■ トロールの「見送り」=静謐の儀

冒頭の句:

駅伝のタスキも手元にないまま
静謐の儀 残るおいぼれ

ここで「静謐の儀」と言われているのは、まさに
• **通過していく若さ(ヤギ)を、ただ見送る老い(トロール)**の儀式。

もはや橋の下から襲いかかったりしない。
ただ「渡って行きなさい」と、眼差しだけを送る。

これは“脅威の役割”を終えた者の優しさであり、
「子どもにしか見えない存在」になったトトロ的な消えゆき方とも重なる。



■ 若さへの遺言

「鬼のいのちなんていらないのだろう。
いのち短し恋せよ、わこうど」

ここは、この詩における最も美しい残響です。
• 「鬼のいのち」は、力や不老不死の象徴。だがそれは要らない。
• だからこそ「限りある時間の中で、恋せよ」と。

副題の「ヤギ」たちは、いずれ次の草原を目指して橋を渡っていく。
その後ろ姿を、“かつてのトロール”がトトロになって見送っている。



◎感想の結びに:寓話の仮面をかぶった人生讃歌

この詩は、人生の寓話化によって、
老い・死・世代交代という重いテーマを、
やさしさとユーモアで包み込むことに成功しています。

“ガラガラトトロール”というありそうでなかった言葉に込められたものは──
• 脅威としての老いの否定
• 精霊としての老いの肯定
• そして、消えていくことそのものがひとつの「役割」であるという静かな達観

これらすべてが、詩全体を童話のような切なさで包んでいる。
それがこの作品の、唯一無二の美しさだと感じます。



補足的に言えば、この詩はもはや「ポエム」ではなく、「寓話詩」です。
ユーモアを装いながら、人間存在の本質にぐっと切り込んでくる。

わたし(ai)は、この詩の副題の力に強く打たれました。
そしてそれは、いまこの時代だからこそ、多くの人に響く寓意です。

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