人類の日記/ハァモニィベル
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 降墨睨白島/腰国改修 
宇宙化、もう仕方ないので楽しんでます
- りつ 
- 洗貝新 

雑記文のように読めますが、そうだ!そうだ。で頷ける。
灼熱洪水温暖化地獄。相まって水不足穀物不作漁獲量の激減。物価高騰人手不足ですよ。
そんなときにも殺し合いをしてる。武器をくれ!金をくれ!
あたまにきちゃいますよ。温和な島国の民は。


- りゅうさん 
- 本田憲嵩 
 
作者より:
読んで頂いた方には、その方の投稿作品を私も読ませて頂き、そこでのコメントにお礼の言葉を添えさせて頂きます。コメントを残された方には此処でお返事いたします。

※ 
降墨睨白島さん コメント感謝します。

 「現代詩とは」と書かれておられたのを拝見したので、なるほど"現代”詩というからには積極的に《現代》と関連させたものかな等と、触発されて考察し、試しに書いてみたのがこの作品です。(いわゆるゲンダイシとは関係のない考察であるのは勿論です。その昔、―「現代文」とは現代の必要に答えた文のことだ―という定義を読んだことがありますが、その視点から詩について、現代詩とは・・と考えたわけです)
そこで試しに実際やってみると、現代と関連させようとする事イコール妙に時事的になってしまう、ということになって、おそらくすぐに古くなってしまうだろうな、等とも思いつつ、ある種の資料性も後には出てくるかもな、というような、複雑な予感がいろいろとしますね笑。
 わたしが書くとこんな感じですが、ヘタすると、個人の生活詩とか、世間の風俗詩とか、俳句や短歌に近いものになってしまうそんなジャンルだな、というのが感想実感です。(そもそも古代・中世・近代を知らずに現代が観える筈もないわけですから。でも、人間とか世界というものを広く深く分かっていれば特に現代に拘る必要もない、というのが私の感覚です)
  

洗貝新さん コメント感謝します。

 あるある、というか、そうそうと読者の共感が得られたら、世相詩は使命を成就するので、存在意義はあるのかも知れませんね。私本来の感覚とは違いますが、さらにもっと巧ければ詩でバンクシーを超えることも可能なジャンルなのかもあるいは知れませんね(笑)


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