日曜日の午後/紅茶猫
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- あまね 
- ひだかたけし 
〉砂場に
時間と
子供と
音が戻ってきた
その中に
私は居ない
今日は
日曜日の午後


あゝこの感覚感触、
僕にも見覚え?在ります。

外界が自分にとっての異界になって居る、
その異界としての外界を見入ってる自分が居る、
というか…◯…

と、一方的なコメントながら。ゝ
---2025/02/18 21:26追記---
- メランコリック 
- atsuchan69 
- りゅうさん 
- ジム・プリマス 
視点が独特で面白いと思いました。
- 洗貝新 

観念的な眼差しで、ということなのではじめから非常不可解な視点が続くのですが、逆に~ランダムなコトバがわたしの名前を並べてる。わたしはじっとそれを見ている~。考えようによってはこの不可解な非日常視点の想像も膨らむな、と思いましたよ。
 
作者より:
あまねさんありがとうございました。
---2025/02/18 21:45追記---
ひだかさん、ありがとうございます。
観念的な眼差しで書いたものなので、実感ということはあまり頭に無かったです。
---2025/02/19 10:17追記---
メランコリックさん、atsuchan69さんありがとうございました。
---2025/02/19 17:20追記---
りゅうさんありがとうございました。
---2025/02/19 23:02追記---
ジム・プリマスさんありがとうございました。
---2025/02/20 11:44追記---
洗貝新さんありがとうございました。
量子もつれの謎を特集した番組を観て何となく思いついた詩です。アインシュタインの説が覆ってしまったというのも驚きでしたが、その理論でいくと「ある」ものは見ている時だけ「ある」。その感覚は不思議というか恐さすら感じました。

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