何もない日曜日/
栗栖真理亜
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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りつ
こんばんは。
ひとりが好きで、エンジョイなさっていれば、何も問題点ないです。
ですが、この詩からは虚しさを感じます。
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髙任勇梓 Takato Yuji
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よるもと
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まーつん
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
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菊西 夕座
最初の一連が、素晴らしい感性で、光を通して交わされる植物のひみつのささやきを敏感に感じ取っておられますね。ここから謎の会話を翻訳されて、アリス的ワンダーランドを展開されても面白いように感じられました。
2連は自らを客観視しておられるようで、突き放すことになっている。おそらくこれは、若葉に自らの席を譲ったのでしょう。若葉たちの討論をきくためには、世界が黙さなければならない。
3連はそこで、放り出してしまった世界の侘しさとむず痒さを感じつつ、お気に入りのチーズ入り菓子パンと冷たいカフェで自らを取り戻し、もういちど風景に眼をやると、もはやそこには絵画的な静止しか認めることができない。
逆に世界から見た場合、この語り手はチーズ入り菓子パンと冷たいカフェを抱えたまま動かない絵画(静止画)なのでしょう。ということですっかり閉じこめられているわけですが、チーズ入り菓子パンと冷たいカフェという好物が両手にあれば、それでもう満足ということもいえるわけでして、いわば満ち足りることを知っている一種の幸福感がある。
そういうわけでこの絵画を眺めながら(絵画に見つめられながら)、通行人の一人にすぎない私も日常でありながら日常でない、いわば日曜日(安息日)のさらなる非日曜(超安息日)へと抜け出してみたいと思いました。
作者より:
りつさん、評価とコメントありがとうございます。
仕事のない自由な日曜日を当時満喫していました。
ひとりまったりしていましたが、少し寂しいような感じも詩から伺えるかもしれませんね。
---2025/01/13 23:41追記---
菊西 夕座さん、評価とコメントありがとうございます。
菊西さんのご考察はとても興味深く、とても参考になりました。
また詩をこちらに掲載した折には何卒よろしくお願い致します。
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