生きていくことのメモ/由比良 倖
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

社会主義思想家の書物からロシア文学を読みサルトルへ導かれる頃には職場で一人浮いていましたね。いや、浮いていたと言うよりも廻りがつまらなく思えて見下すような態度をとっていたのかも知れない。他人に合わせるのが億劫になってきて辛さは増してくる。こうなるといつのまにか他人からは嫌われる存在になってしまいます。 
郷に入れば郷に従う。他人と付き合うには仮面が必要だと後になってつくづく後悔しました。音楽にしても文学にしても思想が高尚になれば成るほど一般社会からは離れていきますね。そして仕事とのギャップに悩むくらいならば仮面でつき合えばいいのです。理解されない人たちに詩人の話しを持ち出しても離れていくばかりになります。

 
作者より:
>アラガイsさん

ありがとうございます。
自分の考えに固執することと、自分の気持ちに正直であることは全然違うと思うのですが、
それはそれとして、若い内は周りからも疎まれて、
自分も空威張りしているくらいで丁度いいのではないかと思います。
「サルトルも知らないのかこいつらは」くらいのスタンスでもいいのではないでしょうか。
ただ、人に嫌われても、自分はあくまで人を好きであり続けることが大切で、
それには、根本的なところでは人は皆繋がっているという感覚を忘れないことと、
尊敬出来て、愛することの出来る、具体的な人の存在が必要だと思います。
漠然と人が好きだという気持ちは、あまり自分に力を与えてくれないので。

思想と自分の心を同一視することは本当に危険です。そこに自分はいません。
ときどきは、本当にひとりにならないと、僕の心は死んでしまいます。
普段どうしても身に付けてしまう仮面を外して、
考えも肩書きも、他人からの視線や、他人への配慮も脇に置いて、
これが自分だ、と確かに感じられる時間が、僕には必要です。
そして、たまには、ひとりとひとりの、人間同士として、誰かといたいです。
それは理想に過ぎないのかもしれませんが。

長い間、ひとりでいる時にまで、他人や自分に対して虚勢を張っていました。
アラガイさんの仰ることも尤もだと思います。
僕も相当に、人に疎まれていた自覚があります。
今でも、会う人会う人に好きな音楽や本を強く勧めてしまう癖があって、
相手は迷惑がってただろうなあ、ということも、大分後になって気付きます。
それからやっぱり、思想的な本に嵌まると、例えば世界とは結局は何なのかということで頭がいっぱいになってしまって、
そういう大事なことに無頓着な他人が急に理解出来なくなったりします。
誰にも理解されないという意固地な気持ちは、自堕落や卑屈の理由にもなって、
その状態から自力で抜け出すのは、本当に難しいです。

結局は、とても当たり前のことなのですが、自分の時間を大事にして、
人には丁寧に、気遣いが出来る人間になれるよう努力するしかないのでしょう。
割りと人に良くしてもらえることも多くて、人の自然な好意や優しさに触れると、
生きているのって悪くないと思えます。

頂いたコメントへの返答としては長々と無駄の多い文を書いてしまいました。
僕は多分小説の読み過ぎで、随分面倒くさい人間になっている気がしています。
まだまだ書きたいことは、いっぱいあるのですが、それはまた後日、
詩や散文や、もしかしたら小説で書けたらいいなと思っています。

ともかく、いつもありがとうございます。
アラガイさんからコメントを頂けると、とても励みになります。

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