作者より:
おぼろんさん、
笑ってしまわれるのは全然構わないし僕自身笑ってしまうのだけれど、(ただ笑ってしまっているジブンはダレ?とは以外な問い掛けとして浮かんで来た)
「もっと楽に生きられるのでは?」とおぼろんさんのような方から言われるとは想わなかったなぁ…自戒を込めて言いますが、人の生きる態度・自由意志に関しては、他人は口出しする権利は一切無いはずですよ(本人が求める時は別ですが)。
僕自身は別にこのVISION段階に苦しんでるわけではなく、むしろ意識進化段階の初期プロセスとして認識し楽しんでるので(勿論、年齢的に自分にタイムリミットが迫っているという自覚前提の許に)。
それと、更なる表現の進歩?それは意識進化のゆっくりとした深化と共に詩想が共に深化することによって自ずと現れて来るものと想われます。
僕自身は全然焦ってもなく日淡々と書き表すのみです。
礼儀ポイントなのだそうで、ありがとうはコメントは返しませんね。
---2024/04/04 17:26追記---
追伸
〉笑う」はたしかに侮蔑を意味するときもありますしね。注意深く使わなくてはいけない表現であるとは、思っています。
あの、おぼろんさん
僕は、あなたが「もっと楽に生きられるのでは?」と僕の生き方に言及関与したことを問題にしているので、
「笑う」ことに侮辱を感じたとかいうことではありませんよ?!
むしろ先に書いた様に僕自身笑ってしまったわけで、なので笑って貰うことを作者である僕は意図の一つにしていたのですから、おぼろんさんが「笑ってしまった」のはむしろ嬉しいわけで。
ただ、おぼろんさんが僕の今現在の生き方在り方に何らかの判断を下し「もっと楽に…」と僕という人間に対し進言する?権利は一切在り得ませんよ、と指摘したつもりなのですが…
---2024/04/04 17:37追記---
---2024/04/04 21:29追記---
おぼろんさん、
はい、了解しました。
全然?おぼろんさん資格お持ちの方と僕は認識しています。ゝ
ありがとうございます♪
---2024/04/04 21:34追記---
追記
〉「誰」は「誰か」であり、必然的に現れて来た「誰」なのでしょうけれど
このご指摘、鋭く正しいと僕には想われます、解釈勘違いでなければ…
実は躊躇していた処で、僕が(主に慎重な哲楽的検証の結果)ルドルフ・シュタイナー人智学を導き手にして居ることは以前から明言していますが、
そのシュタイナー人智学の記述に依れば、意識認識進化の第一段階(霊視イマジネーション認識)の最初に、VISION 感覚残滓と結び付きつつ、この感覚物質次元より更に高い次元の反映象徴としてVISIONが到来する と在り、
それは体験してる本人には高次元と繋がり在る必然性の喜びとして現れると(勿論、此処には僕という個性人格なりの解釈創造性在るわけですが)。
なので、おぼろんさんのこのご指摘、この文脈で言えばリアル正鵠射てるのです。
というわけで、敢えて誤解覚悟で説明させていただきました。ゝ
---2024/04/04 21:54追記---
---2024/04/04 22:02追記---
---2024/04/04 22:15追記---
---2024/04/04 22:31追記---