bad religion/ホロウ・シカエルボク
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ジム・プリマス 
詩を読む五分半の時間が与えてくれる今日のリアル。
- 朧月夜 
ホロウ・シカエルボクさんは散文(駄文)を書かない方ですから、こういった表現になるのでしょうけれど、こうした「詩の素人」へのパンチはこれ一発で良いような気がしますよ。後半のヒートアップ、詩に不慣れな方では気付かないでしょうね。そこには意識の変性がある。何かが変わったのです。わたしはそこに、「ホロウさんが詩とは何かを思い出した」ということを感じます。これは、ホロウ・シカエルボクさんが忘我の境地にある場合とは違い、(このごろ体調が悪いとおっしゃっていましたね)ある種のふっきれ感、「俺はこのままじゃ終わらねえ」といった心理が現れてきて、そこで綴られるものだと思うのです。わたしは、文学とは病臥の文学であるべきではなく、健康の表現であるべきだと思っています。昭和初期の病弱な詩人たちは、健康を取り戻したときにだけ書いていたわけですが、それは現代にあっても変わらないのです。「これで良い?」というのではなく「これだ!」という──でなければ、詩の読者がどこにその詩を感じられるでしょうか。「いやいや俺は……」ということを、きっとホロウ・シカエルボクさんは思うのでしょうね。わたしもそう思い、そこに齟齬が生じることをむしろ好ましく感じます。ホロウ・シカエルボクさんのお考えになっていることをある程度知らしめていただき、ここからは、わたし自身にとっての「ホロウ・シカエルボク」という詩人との対決は、わたし自身における内的な戦いになるのだな、と思いました。体調はけっこう悪いのですが、「ホロウ・シカエルボク論」という一つの創作をすべく、わたしの覚悟は決まりました。……最後に、なんでもっと皆さんホロウ・シカエルボクさんの詩を読まないのでしょうかね。わたしは、ここに言語を味わう快楽の本質が凝縮されているように思うのですが。
 
作者より:
〇ジム・プリマスさん

ありがとうございます。

〇おぼろんさん

熱はすぐ下がったんですが、咳がなかなか止まらなかったのです。
そうすると、集中してがっと書くいつものやり方は出来なくて。
書きかたを変えざるを得ない時間がしばらく続いたんですよね。
僕は週にひとつは書くって結構前に決めて、それがもう習慣化しているので
3月後半の詩はゲホゲホ言いながら書いた詩がほとんどです(笑)

まあ、でも、「これでいい?」っていうのも好きですよ、僕は。

おぼろんさんとの会話は思考ゲームのようで面白く
ウザいと思う瞬間などありません。安心してください。

なぜあまり僕の詩が読まれないか…
自分でこんなこというのはなんですけど、
ちゃんとしたものってスルーされがちですよね、日本。

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