※五行歌「いくつもの出会いを 得て」/こしごえ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
- レタス 
- 由木名緒美 
こしごえ様。
私は脳の容量が小さくて、ひとつのことに集中しなければ、ひとつのことをこなせなくなります。それから、ひとつのこと以外は別世界の事のように感じて、近づこうと思っても霞のように遠のきます。

私も、耳や目に触れる人いきれの中で、きっと目には見えなくとも雨が雪に変わるように、結晶化してきた沢山の「出逢い」があります。

そんな出逢いの結晶を見つめる眼をどう矜持すれば良いでしょうか……。

よければ、教えてください(*・ω・)*_ _)ペコリ
---2023/12/27 03:47追記---
- ちぇりこ。 
- wc 
良かった。
安堵の良かった、でもある気がします。
僕の中ではこの作品は。
 
作者より:
ひだかたけしさん ありがとうさま。
レタスさん ありがとうさま。

---2023/12/27 11:36追記---
由木名緒美さん ありがとうさま。
>こしごえ様。
>私は脳の容量が小さくて、ひとつのことに集中しなければ、ひとつのことをこなせなくなります。それから、ひとつのこと以外は別世界の事のように感じて、近づこうと思っても霞のように遠のきます。

>私も、耳や目に触れる人いきれの中で、きっと目には見えなくとも雨が雪に変わるように、結晶化してきた沢山の「出逢い」があります。

>そんな出逢いの結晶を見つめる眼をどう矜持すれば良いでしょうか……。

>よければ、教えてください(*・ω・)*_ _)ペコリ
>---2023/12/27 03:47追記---

すみません、上記の由木さんの文脈での「矜持」というのが ちょっと分かりませんが。(もしかして、享受? それとも、この文脈での、プライドなどの持ち方、でしょうか。まあ、これは置いておきますね。)

で、そうですねぇ。
結論から言えば、(私の以下で言うことは見当外れで、期待外れになるかもしれませんが)、
出会う、、ということは、、その出会いには必ず 別れ が来る、、ということを覚悟していなければならない、と思います。それを『常に』覚悟している必要はないけど。

なので、『出来るだけ』後悔の無いように、その出会った相手に接するように、私はしています。
それでも、例えば、相手に縁を切られた場合は、それまでの縁だったなぁ、と思うことにしています。そこには、それまでの、相手の『器』がそこまでだったとね。まあ、その時の 相手の気持ちや事情 など が、その時の私の状態などと  合わなかった というふうにも思いますよ。
それに、私の方が何かしら悪かったのかもしれない 場合も ありますよね。

なので、、出会いは大切な 何か を自分にもたらす場合もあるし、そうでない場合もありますよね。
出会ったその相手と、付き合っていく中で、お互いの信頼関係などが築かれていく。

私も どちらかと言えば、脳の容量が小さい方でですね。由木さんと同じで、一つのことにしか集中できない  方です。
それに最近は物忘れもひどくなってきた。
なので、こころを『出来るだけ』 シンプルにして行こうとしてる最中です。

今、私が 胸のここの こころの支えなどにしている言葉を、参考までに以下に記します。
次の言葉。

「行雲流水」 「放てば満ちる」 「足るを知る」 「これも運命、天の自由」

ちなみに、「行雲流水」とは広辞苑によれば、「空を行く雲と流れる水。すなわち、一点の執着なく、物に応じ 事に従って行動すること。」という意味です。

まあ、とりとめもなく以上を話しました。
以上のことが、
由木さんの人生の役に少しでも立てば幸いです。拝礼 ^^

---2023/12/29 14:39追記---
ちぇりこ。さん ありがとうさま。

---2024/01/19 04:40追記---
wcさん ありがとうさま。
>良かった。
>安堵の良かった、でもある気がします。
>僕の中ではこの作品は。

ああ、wcさんが、良かった と思ってくれて、私も良かった。
wcさんが、そのように この歌を捉えてくれて、ありがたいです。ありがとうございます♪☆^^

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