カナリア/千波 一也
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 本田憲嵩 
- アラガイs 

カナリア。漢字で書けば金糸雀。カナリアを私も過去に変な漢字で造作してどこかのサイトへ小説擬きに載せたことがありましたが、いま振り返るとタイトルの造作はよけいに失敗だったな、と何も語れない。詩への共鳴性としてよく用いられるカナリアの囀りですが、ここにも取り上げられているように、無臭で有毒なガスの検知に昔から身代わりとして活用されてきました。毒を検知するとカナリアは囀らなくなる。そのためですね。なので人(詩人)は歌われない、または失語して語れなくなる状況を喩として仕様してきました。本作の詩でも、~わたしのうたは時々停まる。~うたい慣れてしまった代償に~と書かれてあるので、これは自戒を込めてカナリアの囀りと対比させているわけです。~わたしはまがい物のガラス細工~思い込みのガラス細工とも書かれてあるので、これは現実を囀る生きたカナリアとの対比でしょう。
まあ、カナリアの囀りにも様々な仕様があるわけですが、ひとつ例にあげれば、井上陽水の歌うカナリア。あれなどは歌詞を見てもらえばわかるのですが、現実にはもう存在してはいない。つまり死んだカナリアを対比させて語られているとおもうのですね。なので歌詞は抽象的にぼやかされています。そう捉えれば、いろいろと創作の幅もひろがりますね。
本作品もしっかりと根の部分は捉えて書き込まれてはいると思うのですが、どうでしょう。大事なのはどのようにしてカナリアとう言葉と連動し共鳴として響かせ余情を残すのか、ということになるような気もいたしております。



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