とつおいつ/あらい
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

あなたは以前、確か見せるような字画で、詩を、とかおっしゃられていましたね。確か、確かに。それならば、この詩はちょうどいい。できるだけ字画を省いて、文章も、文字列ではなく、空間を、先ずは見せるために魅せる工夫を丹念に何度も何度も推敲しながら工夫されてみてはいかがかな、と。それは虚空に拡がる、美しくもあり、寂しくもあり、愉快であり、哀しくある。って言うのは簡単だからって思ってください。
- Giovanni 
 
作者より:
アラガイsさまコメント及びPOINT有難う御座います。確かに言葉的にも見せるという概念でいえば読み手様に読ませることを前提に置くならば、それが正解なのでしょう。これは私の問題ですからただ聞いていただきたいのですが、この詩はこころのままの手書きを整えたもので、ですからどこを強調するわけでもなくただ淡々とあるだけなので。
まあなにについてもそうですが、全て自分の意志でありますから、ようは「これはそのままで、置きたかった」それだけです。
そして前に言ったように形としてお見せしたいものになるのは、詩の作品としてであり、言葉はある一定の納得を強いていて。/今ある最大限のチカラを込めるならば/という「かたち」の拘りのみで。言葉の意味などはかなぐり捨てるような面持ちで、ずらしたり、重ねたり、置いたりし、整えるわけです。
何がどういう形に収まるのか、心づもりとなるのかは、自分では融通がききませんから、ああいったいろんなタイプのものが排出されていきます。少し前までは一つの形にしなければとひじょうに思い悩んでいたのですが、まあ中身などいつも変わらないようなありさまですから、好きなように好きなだけ自分自身を泳がせている昨今です。

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