様々な窓に明かりが灯され、生活は展開されていく。/ホロウ・シカエルボク
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- おぼろん 
- アラガイs 

繰り返し二回ほど老眼で読ませてもらいました。~ひとつの思想、ひとつの意志、ひとつの確信が裏切られることからすべてがはじまる~っていいですね。漠然とした不安。実存は本質に先立つ。しかしそう放つサルトル自身そのどうしても乗り越えられない人間社会が持つ不条理性からアンガージュマンという概念を導き出します。実存という個に限りなく執着していては結局虚無感から逸脱することはないだろう、と積極的な社会参加を促すわけです。そうして実存とは表裏一体の関係性にある構造主義のような思想の観点に回帰し終着してしまいます。ここに語られている内容は詩の持つべき思想を通しての苦悩が、わき上がるイマジネーションの光芒とともに、その解答を自らに課するか如くに表現されている。と思わせます。
詩人吉増剛造は著書「詩とは何か」の中で「ほんものの」についてこう述べています。 ~まったく実存が揺り動かされないような経験がないところから(ほんもの)の詩が立ち現れることもなく~
このことは、日頃あたまの中だけで現代詩という概念の基に言葉との格闘に愉悦していると酔っている我々にも、先達の理として胸に刻んでおくべき格言ではないだろうか。

 
作者より:
〇おぼろんさん、ありがとう。

〇アラガイsさん

今日の詩でも似たようなことを書いているんですけれど、詩はもっと投げっぱなしの表現でいいと僕は思っているんです。僕が言葉をやたら詰め込むのは、考えて書かれたものにあまり意味を感じないというか、「それは正直じゃない」と感じるからなんですよね。そのへんが構造主義、という感覚に繋がっているんだと思うのですが…。解答は無いんだ、と書ききれたときが成功なのかなぁ、とか。
ちなみにサルトル…「嘔吐」は読みましたが、おっぱいの下りしか思い出せません。

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