プールの水は何色でも構わない/ホロウ・シカエルボク
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

いろいろと読んできたし多くの詩にコメントつけてきたりもしたけど、詩なんてそのほとんどが覚えてもいない。その点観劇やコンサートは視覚や聴覚の両方で味わえるからあたまには残る。強いよね。考えてみれば非日常の空間を彷徨う快感なんてそれほど多く与えてはもらえない。一瞬画の中に溶け込む自分。音の波に揺れる自分。劇を観て高揚する自分。どれも皆自然に与えてもらえる行為なんだな。そう考えてみれば、詩人は相手に期待し過ぎだね。きみの方から寄り添っておくれよ。と意識し過ぎてんだな。ほんとは寄り添ってもらえるようなものを書かなきゃいけない。そんなふうに考えると読み取るなんて面倒くさい行為なんだな。僕はいままで相手に寄り添い過ぎたかな、と思うね。そんなの、もう面倒くさいや。わざわざ書かれた相手の思いや意識までも読み取ろうなんて。読み取るために詩を読む行為なんて。つまらないし、長く続けてるとどうしても飽きてしまうよ。
そうだな、読むのではなく、読ませてほしいね。作者の方から強引に分け入ってくれよと、そして非日常の快感を与えてほしい、と、つくづく思うようになってきたのね。それは、つまり詩とは詩を作ろうとする意識が働き過ぎちゃやはり駄目なんだな。。詩の味わいとは理論的に興されるべきものでもない。それを凌駕しなくてはならない。これは、もちろん感覚的にはわかってた。最近そのことがはっきりと理知的に理解できるようになってきたよ。

---2020/05/08 02:29追記---

---2020/05/08 02:42追記---

---2020/05/08 02:48追記---
- ナンモナイデス 
 
作者より:
☆アラガイsさん

だれか読ませてくれねえかな、とか思いながら、
自分で書いてるこのごろです。
たぶん、そういうのって、パンク的な感覚を求めてるのかなぁ
トラデショナルなビートを残しつつ
ほんの少しイルーガルだったり
アヴァンギャルドだったりするようなものを。

ぼくはだから、自分のことパンクだと思って書いてるんだけど
「あんたはオルタナだよ」って言われる(笑)

☆ナンモナイデスさん

ありがとう。

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