作者より:
たもつさん、石畑さん
「同等の価値」、「等価である」
対極のようで、詩を愛する姿勢に変わりはないということですね。
>くらむぽんさん
そんな「あたりまえ」のことさえ忘れそうになる・・。
>easyさん、ふくさん、いとうさん、中田さん、待針さん、
蜜さん、丘野さん、キンジさん、あとらさん、フユナさん、
吉祥寺さん、ふるるさん、翡翠さん、大村浩一さん
ありがとうございます。
>石畑さん
#追記>
「子供」=技巧にこだわらずおもむくままに詩を綴りたい人
それは「大人」の側から「子供」を見た場合の表現であると思うのです。
「子供」だって精一杯自分なりに技巧にもこだわっているつもりなのです。
その未熟ながら詩を綴ろうとするその原動力こそどんな技巧よりも大切なの
ではないでしょうか。技巧がまずあって詩があるのではなく、詩がまずあって
技巧があるのでしょうから。
そういう意味では、技巧的な上達も望んでいる若き詩書き=「少年少女」と
「子供」は何ら変わりはない。「大人」から見て、「そんなものはしょせん、
楽しむだけの遊びの詩」「本物の詩じゃない」と見られても、「子供」
「少年少女]の詩を好きでいる「気持ち」が大切だということが言いたかったのです。
「大人」もかつては皆、「子供」「少年少女」だったのですから。
ただし、熊髭bさんが、どういう意図で表現されたかは厳密には分りません。
(なんとなく、言いたいことは分るのですが。)
人によって捉え方も様々でしょう、ただ、わたしはそう捉えました。