自分詩またはわたく詩/腰国改修
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 足立らどみ 
読み手の存在は難問の一つですよね。

詩は散文の文章を意識することは必要はないと思いますが、
(散文詩は散文形式の詩であるだけですから)それでも読者がいる以上は
分かるように書いて欲しいと思います。しかし説明しすぎると
風情がないというか、言葉にダイブしているリアルタイムの体感が読者に伝わらず、
ニュースや報告書になつてしまうから難問です。軽くかけるコメントのテーマでは
ないですね。

読ませていただきました、ありがとうございます。

勿論、このテーマは今に始まった事ではないので、先達がいいことたくさん言ってますが、私が好きな考えは、詩の特性にあぐらをかいて、放りなげの中学生のような作品はうんざりで、論理的書き方ではない理論的説明ではない詩的な説明を詩でしてみる感覚ですね。書いていて良くわからなくなってきた(笑笑)]
---2018/11/04 21:00追記---
短歌だと場所など特定できる何かがあると、いきなり座り心地が良くなる感覚がある。
---2018/11/04 21:12追記---
 
作者より:
らどみさん、お読み頂きありがとうございます。
確かに読み手の問題は問題だと思います。読み手のいない創作物は日記?もっと言うと存在しないのと同じ?ただ、こうも言えるかなあと思うのは、書き手である自分自身が読み手である、と。で、そのまま発表してしまうとやはり自己陶酔や自己中心的なものとして輝きを放ってしまうのではないかなあとも考えます。難しいけど面白い問題だと思います。

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