詩人の罪/岡部淳太郎
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- あおば 
それだけ気持を強く感じているのではないかと思っています。
罪と言うより義務ではないかと感じるのですが。
私も一昨年、義兄の葬儀の翌日の姉の様子を描写して、
poenique の即興ゴルゴンダに応募したら、珍しく一位になりました。課題は「はぐれ詩人純情派」
- 虹村 凌 
この文にポイントを入れる、と言う行為に、少しだけ、
疑問(自分に対して)を持ちながら。大いなる同感と共に。
- 霜天 
- 北野つづみ 
愛と生と死は人間の大きなテーマですよね。
死というものの本質をわたしたちは死ぬまで捉えられないけれど、
死んでから詩を書くことは出来ないから、
誰かの死から詩を拾い上げるしかないのではないかと思います。

「駆けていった」を、わたしはすごく好きで、
この詩があるのなら、もうわたしが詩を書く必要はない
と、思ったくらいです。

- 043BLUE 
人の死を言葉によって冷静に捉えようとする詩人はカメラマン
にどこか似ているのではないか・・目の前の出来事、そして死を
ファインダーに捉える。ある戦場カメラマンは言った「カメラ
が自分たちの武器なのだと・・・シャッターを押すときの罪悪感と
カメラマンとしての義務との間にものすごい葛藤がある。」という。
ぼくも兄を若くして亡くしているが、生きていることに思い上が
るなと兄が死を通して語りかけてくる。詩人は詩を書くことで、
その罪を幾らかでも埋めようとする。そして、詩という形で
愛する人の魂を生きながらえさせようと試みる。それが詩人という
生き方そのものだと思う。ぼくが死んだら、愛する人にぼく
の詩を書いてほしい。
妹さんはあなたの詩の中でこれからも生き続けてゆくのでしょう。
- 塔野夏子 
- 千月 話子 
私も、そのような詩を書いています。
昇華、残像、祈り、慰め・・・。
どう言っていいのか分かりませんが、
今、書かなければいけない!という思いが
その時、強かったのです。
- 豊嶋祐匠 
- オオカミ 
- 砂木 
私も恩師を亡くした時 レクイエムとし
えんえんと書いてまとめた事があります。
小さな同人誌でしたが 先生は多分私の
できそこないみたいな詩でも苦笑と共に
ゆるしてくれたと思います。そんな人でした。
しゃぼん玉とんだ という歌は 夭折した娘さんを思って
書かれた歌だと 聞いた事があります。
知らない時よりも しみじみと好きになりました。
- ひより 
-  
- たもつ 
- 嶋中すず 
- 木葉 揺 
最近、親戚が亡くなって書いてるところでした。
それほど近い存在ではなかったから、
喪失感はあまりないですが、なぜか書かなければと思ってしまいました。
- フユナ 
身内の死、というのもですが、(それよりももっと些細なことで申し訳ないのですが)以前男にふられたときに、「実らないのなら思っていても無駄でしょう」といわれて、反射的に「無駄じゃない、詩になる」と思い微妙な気分になったことがあります。
これは批評の項に入っていますが、何となく詩だと思いました。
- 銀馬車でこい 
今,納骨を待っている同居していた
大叔父の骸があります。
まだ,近しい人の死を詩にしたことはまだありませんが,
詩は文葬だとは思ったことがあります。
人の死を題材にして詩を書くことは,
その点から考えると生きる魂と死せる魂をどう捉えるのかという
詩人の着眼だと思います。それが罪なのか義務なのか
は自分にはまだわかりませんが,とても儀式的なことのように
思っています。
- 梼瀬チカ 
お久しぶりです。梼瀬です。岡部さんそれは罪では無いですよ。戦争詩や震災詩があるのと同じ事だと思います。
- 窪ワタル 
(書かなければならないとすれば、仕方がないんだ。)

(何が悪いものか!)
- 大村 浩一 
挑まなければならないものが詩人にはあります。
- 大覚アキラ 
- piyococco 
-  
- りょう 
- 快晴 
- フォマルハウト 
- RT 
- 紫音 
- *くろいうさぎ* 
私は恋人を亡くしました。
今の私は詩の言葉として生まれてくるのが、恋人と必ずどこか接点があるようになってます。
自分でもわかります。
でも、浮んできた詩でも恋人が詩の中に居るのです。
こんな詩は書いてはいけない、と想うこともありますが、私は想うが侭に書いていこうと想ってます。
そして、私自身が変わっていけるように...。
この文章に出会えてよかったです
- るるりら 
わたしも身内の死を経験して詩にしたことがあります。
痛みの中で 他にどうしようもなかったからそうしました。
こちらのサイトではありませんでしたか、やはり いつもより多くのレスを頂戴しました。
私の痛みに呼応してくれたくださった読者が多くいたということなのでしょう。が やはり どんな評価を得ようと なにかで 置き換えられることのできない命の損失は 埋まりのない事柄でした。

死んだものは 自己を表現することはできません。私には 命というものが残されており、私は私の命を燃やす方法のひとつとして詩もありました。自分自身の精神や心の芯のようなもののありようを おもいしらされたことによる発露でした。

心の内部に自己が向かわざるを得ない状況で いの日々は無駄ではなかったろうと 自分では思います。人は起き上がらずにはいられないのです。
- チアーヌ 
- 湾鶴 
- シギ 
- あとら 
- こしごえ 
詩人は、書かなくてはいられない。ということに深い感慨を覚えます。ありがとうございます。
- かおる 
- Fujiwara Aki 
- 第2の地球 
- 米倉瑠学 
- 朽木 裕 
 
作者より:
どうしても、書かずにはいられなかった。言いたいことが溜まっていた。
それを上手く表現できているかどうかは、わからないが。
文中の「墓地の壁」と「駈けていった」にはあえてリンクを貼りません。

>あおばさん、

ありがとう。義務ですか。そう考えると少しは気が楽になるかもしれませんが、
僕はやっぱり罪という考えに傾いてしまいます。
>ラクエさん、

こちらこそありがとう。
>リョウさん、

同感してくれて、ありがとう。
>きたのつづみさん、

ありがとう。
そうですね。拾い上げる。詩を書く人間が死者にしてやれることはそれぐらいしかないでしょう。
「駈けていった」に対してそこまで言ってもらって、こちらもありがとうございます。
>043BLUEさん、

ありがとう。
 >生きていることに思い上がるな
重い言葉です。
>千月 話子さん、

ありがとう。
書かなければいけないという内面からの衝動に動かされることも、大切だと思います。
>砂木さん、

ありがとう。
やっぱり人それぞれにそういうのがあるんですね。しみじみと感じ入りました。
>イブマスさん、

ありがとう。
人それぞれ考え方に違いはあるでしょうが、
僕はこう考えているということですので、ご容赦ください。
>木葉 揺さん、

ありがとう。
書かなければという気持ちの不思議さを感じます。
>麻里乃さん、

考えてくれて(笑)、ありがとう。
>フユナさん、

ありがとう。
それも詩人の悲しい性でしょうか。
>銀馬車でこいさん、

ありがとう。
儀式的なことというのは納得します。
僕にとってもあれらの詩を書くのは一種の儀式のようなものだったのでしょう。
>梼瀬チカさん、

そう言ってもらえば、少しは気が楽になるかもしれません。ありがとうございます。
>ロボウティーさん、

その通りだと思います。ありがとう。
>笠井さん、

いえ、こちらこそ。
上手く言葉に出来ませんが、ありがとうございます。
>大村 浩一さん、

ありがとう。挑みます。
>くろいうさぎさん、

やっぱりどこかにどうしても出て来てしまいますよね。わかります。
書きつづけてあげてください。
>オリコさん、

わかるような気がします。
同じように考えてくださる方がいて、嬉しいです。
>るるりらさん、

ありがとう。
妹の死後からしばらくの間のあの日々は無駄ではなかったと、僕も信じています。
>広茂さん、

こちらこそ、ありがとう。

霜天さん、ありがとう。
くらむぽんさん、ありがとう。
塔野夏子さん、ありがとう。
ゾウさん、ありがとう。
オオカミさん、ありがとう。
薔薇さん、ありがとう。
maiさん、ありがとう。
蜜さん、ありがとう。
丘 光平さん、ありがとう。
たもつさん、ありがとう。
嶋中すずさん、ありがとう。
浅野胎羊さん、ありがとう。
睡蓮さん、ありがとう。
大覚アキラさん、ありがとう。
あほんさん、ありがとう。
piyococcoさん、ありがとう。
終さん、ありがとう。
りょうさん、ありがとう。
快晴さん、ありがとう。
梨薇さん、ありがとう。
フォマルハウトさん、ありがとう。
流川透明さん、ありがとう。
紫音さん、ありがとう。
mizu Kさん、ありがとう。
加藤泰清さん、ありがとう。
チアーヌさん、ありがとう。
ETOILEさん、ありがとう。
湾鶴シュフさん、ありがとう。
舛花さん、ありがとう。
松崎貴子さん、ありがとう。
あとらさん、ありがとう。
Nizzzyさん、ありがとう。
ミントさん、ありがとう。
末上シンさん、ありがとう。
藍露さん、ありがとう。
かおるさん、ありがとう。
BetelGeuseさん、ありがとう。
Fujiwara Akiさん、ありがとう。
再子さん、ありがとう。
米倉瑠学さん、ありがとう。

訂正履歴:
後半加筆。05-3-25 23:52

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