作者より:
蛾兆ボルカ 様
この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
この詩は、無声詩とタイトルを付けて、詩を書いてみた、初作品ですが、まさか、こんなにも反響があるとは……本人が一番びっくりしています。
タイトルに自分なりの意味を込めてこの作品を書いたのですが、声が無いというのはどういう意味なのかってことで、それは、この作品の中の私の心とは、すこし違うってことなんです。
人に何かを伝える時、声だけで伝えられないと思っていたら、それは違っている気がして、コーヒーに侵食するミルクだって、お砂糖だって、コーヒー的には、それを受け入れたのかもしれないし、そういった寛容な形での和解や、対等な意味での仲間というのか、肩を並べての関わりの形は、声だけでは無い気がしていて、上手く説明出来ないのですが、分かり合えるというのは、理解するというよりもっと深く、解るということは、やはり、対等ということなのだと思います。纏まらない発言をすみません。私は、今の私ではへなちょこすぎるので、もう少し成長して、広い視野で寛容な物の見方を出来るようになりたい。
今回こちらに来て下さり本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 13:41追記---
星丘涙 様
この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
星丘涙様の作品を泳がせていただいて来て、星丘涙様の作品世界に漂う何か温かいもの、
明るいものを目にした気がして、こちらの作品に戻ってきたとき、星丘涙様は、この作品を目にされたとき何をイメージされたのだろうと嬉しくなったのです。
私は、どちらかというと、ブラック派で、ミルクやお砂糖は本当に気まぐれなときにしか入れないのですが、ふとこういったものが飲みたくなる時って、甘さを知りたくなった時かなぁとか思ったりします。
誰かのためにとかそんな大仰なことを考えなくとも、助けてと言われたら、どうしたの?と言える人でありたいなぁと思います。私はとてもちっぽけでなにも出来ないけれど、あなたの話を聞く時間はかならずつくれるし、無理をしてでも聞くよと言える人でありたいなと思います。
心の伝え方がたとえ上手くいかなくとも、癇癪を起こさないで、冷静に向き合えるような人になりたいなぁと思います。
今回こちらに来て下さり、有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 13:50追記---
吉岡ペペロ 様
この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
吉岡ペペロ様の作品を泳がせていただいて、奇跡というお言葉を使われた詩に、泣いたのは内緒です。すごく、奥深いところでの優しさを感じました。素敵な作品を読ませて下さり、有難うございます。奥深い優しさを持ってらっしゃる吉岡ペペロ様がこの作品に目を留められた時、何をイメージされたのかなって、私は嬉しくなります。誠に有難うございます。
気持ちが伝わらない時はよくあって、それによって、悲しくなったり、傷つけられるような心地になったり、なにか自らを責めたくなってしまったり、様々な心の変化は、人の心を揺らすけれど、それらの始まりは、やっぱり、なにかの反応なのかなと考えたりします。たとえば自然を目にしてただありのままに綺麗だなと思うのは、私が自然の中の花や、木や、草や空気や土や空ではないからなのかもしれないが、そんな風に人をありのままに見つめれば私は、もしかしたら、自然を見たときと同じように先入観がなければ、美しいと思うのかもしれなくて
やっぱり、形や物は物質としてはただそこにあるだけ、あるままのものなのだということで、
意識化して分けてこだわり、精神的なものにイメージとして形を作り上げているのは、私の意識であり、あなたの意識であるということで、それならばやっぱり、自らを寛容な気持ちに保てれば、きっと周りのその反応のまま変化するのだろうと。
私たちは相対的でそしてとても感じやすい生き物なのだとそんな風にぼんやり思います。
今回こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 14:01追記---
ひだかたけし 様
この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
>どんぴしゃリアルv(^o^)
素敵なお言葉、有難うございます。
お互いファイトですね。私の方が全力でひだかたけし様の後ろに並ばせてください。(*´∀`*)有難うございます。
相手方の機微を読むことが私は下手くそな気がしていますが、どうも、考えすぎてしまったり、深く受け取り過ぎてしまうことがあったりします。私は、どうも面白みのない人間で、それが常にコンプレックスなのですが、自然に楽しい人って、どうやったら、なれるんでしょう?って悩みます。
自然さって、私には羨ましい才能です。どのような方々の輪の中にも自然に溶け込める方を目にすると、それだけで、私にはああ、ああいうものを才能というのだろうなぁと感嘆します。
私は不器用で、そういったことが上手く出来ない人間で、そういった方に憧れます。
様々な課題を抱えながら、情けなく自らを思うけれど、そういった自分も寛容に受け止めながら、自分が伝えたい形伝えたいものの伝え方を模索していこうと思います。今は、それが一番自分を向き合うことに繋がっているから。
今回こちらに来て下さり、有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 14:12追記---
羽根 様
この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
羽根様の作品を泳がせていただいて常に感じるのは、すこし離したところでの自然さと、すこし離れたところでの視点、そしてそれらの視線の温かさと柔らかさです。そんな作品を紡がれる羽根様がこちらの作品を目にされて何をイメージされたのかなって私は嬉しく思います。素敵な作品を読ませて下さり、有難うございます。
この作品は、ミルクとお砂糖が出てきますが、私はこの作品の中のミルクとお砂糖は、何を指すのかしらと自らに問いかけてみます。きっと私は答えるでしょう。私には、初め無かったものです。って。
コーヒーは、自らになかったものを取り入れようとして、自らの味や色や色々を変えたりするけれど、でもやっぱり、それはただのまろやかになったコーヒーであり、甘くなったコーヒーであるのに変わりはなくて、コーヒーはやっぱり、コーヒーという個性を失えないのだと私は思います。
人をはねつけていた人が、寛容に人を受け入れようって頑張って、その方の個性がなくなるっていうと決してそうではなくて、その方は、ミルクを入れられたコーヒーのようにその方らしさを失わずに人に寛容になれるとしたらなるのだと思います。
だから、私も、自らの本質が丸ごと変わることを希望していることはなくて、それは諦めているのですが、それでも自分なりにちょっとはましになりたいなぁって思います。
今回こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 14:19追記---
間村長 様
この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
今回この作品を書いたきっかけは、ほんの些細なちょっとしたいたずら心だったのですが、詩を書いている内に、中身はちょっと違う方向にもぐらみたいにトンネルを掘ってしまったようでちょっとあれ?という作品ですね。でも、これはこれでありかなぁと思ったりもします。
無声の詩とはなんだろうって思考したとき、元々、詩は無声じゃないかって声が聞こえて、ふふっと連想したのが、絵のない絵本でした。絵がなかったら絵本じゃないっていうとやっぱりそうじゃないから。すこし大げさな言い方をするなら詩は、心を映したものだとすると、ボイスレコーダーでとって、忠実に写し取ったものでは無いわけです。
静かな心の決意は無声詩だとしたら、そうなのかもしれないです。
すこしこじつけでしょうか?でもちょっと面白いので、今後このような方向性での作品作りを考えたりするかもしれないなぁと思います。
息遣いや、繊細な衣擦れのような音すら、大きく聴こえるような世界もあれば、
全く表面上では無声なのに、心の中では騒がしいそんな世界もあるのだと思います。
今回こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 14:39追記---