ポイントについて/水菜
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
---2016/12/22 05:23追記---
主観的には好みじゃないけど、客観的には優れている、という作品に対した時の読み手の懐の深さ、というものも問われるよね(^.^)
- 吉岡ペペロ 
- 下山 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 深水遊脚
 言葉にならないとき、言葉にしようとすると嘘になります。ポイントはそんなとき便利ですね。でも嘘にならない言葉を探すのが本当はいいのかもしれません。しなければならないという強迫観念は不要で、有害ですが。

 いまこのときのポイントの意図を明確になさっても、一月後のご自身の意図は違うかもしれませんし、作品ごとにも違ってくるものです。そこは固定することもないかと思います。 わたしなどはいい加減にポイントで済ませていますが、嘘にならない言葉を敢えて探すのもいいものですよ。自分の使える言葉は確実に増えます。

 受け取るのは生身の人間で、ポイントは分かりやすい賛辞で、コメントは受け取る人間の気分次第で大事にもされ、憎まれもします。大事にされる場合もひどく誤解されていたりします。そのような生身の人間相手の愛憎より、作品と、それに対峙する読者としての自身の思考、身体をみつめるとよいのだと思います。生身の人間相手の愛憎というものは屡々錯覚です。でも作品とそれに対峙する自分自身は確かなものです。
 
作者より:
---2017/01/08 00:56追記---

 >下山 様
目を留めて下さり、ポイントまで誠に有難う御座います。
すぐに返信は出来ないのですが、必ずします。^^
すみません。m(_ _)mポイント嬉しかったです。有難う御座います。
失礼致します。

*****

ひだかたけし 様

この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

>---2016/12/22 05:23追記---
>主観的には好みじゃないけど、客観的には優れている、という作品に対した時の読み手の>懐の深さ、というものも問われるよね(^.^)


素敵なお言葉を誠に有難うございます。

主観的に好みではないけれども客観的に優れているというものは、たとえば、技巧的なものも含めたものでしょうか……?読み手の懐の深さ……。

そのあたりの、ポイントを入れる感覚というものを私は持ち合わせていませんでした。ご指摘有難うございます。すこし、これから考えてみます。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。


---2016/12/31 19:00追記---

fiorina 様

この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

fiorina 様の作品世界を泳がせて頂いて、感じたのは、言葉が上からふってくるようだってことでした。たとえば、空から、雨が降るように、たとえば、太陽が空から光を注ぐように それが、すごく素敵だなぁと思いました。うまく言葉にすることが出来ず、申し訳ないです、素敵な作品を読ませて下さり、有難うございます。

ポイントについて、私がこちらに提示しようと思った理由は、私が、殆ど、泳がせていただいた拝読した作品にコメントを残さないからでもあります。私は、実はとても臆病で、感じ取ったものを素敵な作品のコメント欄に載せて大丈夫かなとか、不安なことのほうが多いので、コメントに残さずに、ポイントを置いていくことのほうが多いです。

コメント欄でおさまるのかというのも不安になる理由のひとつで、書こうと思っても、やめることのほうが多いです。ポイントを何故おこうと思ったのか、その理由をすこしでも説明できたらという気持ちでここに私がポイントに思う気持ちを書きました。

本当なら、コメントもきちんと書くべきなのでしょう。ちょっとずつ不安をなくす練習をしていこうと思います。

今回、こちらに来て下さり、有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2016/12/31 19:10追記---

蛾兆ボルカ 様

この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

>引用 あまりにも、淡すぎて、言語化する時間が無いとき、あまりにも言葉にすること>が出来ない不思議な感覚に陥った時、人は、それを受け入れようとはしない。良かった>です。/ なるほどと思いました。人間の頭には何個もの脳が入っていますが、コメン>トなしのポイントは左脳が、コメントつきのポイントは右脳が、『この作品イイネー』>と思ったのかも。
>コメントなしのポイントが、さらに数段階で入れられると、なお良いのにと私は思いま>す。片手サムアップ:( ̄▽ ̄)b 、両方サムアップ:d( ̄▽ ̄)b とか、ひとつ星から>五つ星など。


素敵なお言葉を誠に有難うございます。

左脳や右脳が『この作品イイネー』って思ったのかも。というお言葉に、左脳たんと右脳たんが、キャラクターとして出てきて、イイネーと言っている図を瞬間思い浮かべてしまい、自分に突っ込みました。蛾兆ボルカ様、めちゃめちゃ愉しいですね!コメントなしの、ポイントを数段階で入れるですか!それは、なんだか、嬉しいような怖いような感覚だなぁと思います。電子書籍などではありますよね。評価ポイントを星で何段階かで表現するもの。嬉しいし、怖いけれども、その数段階の評価の理由がもっと細かくなっていくような気がして、それはそれで愉しいのかなぁとも思います。でも、なんだろう。裁判員制度を取り入れても、死刑制度の基準、永山基準が揺らがないように、大元の基準がそこにないと、判断がぶれてしまうような気がしないでもないです。私はここまでが、真ん中でここまでが、真ん中より上ですなど判断するのって、やっぱり、大元と比較しなければ出来ないと思うんです。う~でも、裁判じゃないのだからそんなに厳密に決める必要性すらないんでしょうか、、何言っているのか自分でも分からなくなってきました。すみません。

今回こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/31 19:35追記---


吉岡ペペロ 様

この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

このポイントについて、を書き終えて私の中にあった気持ちは、やっぱり、書いてみたことで、私自身にとっても、それを見直すことが出来て良かったなぁ、ってことでした。朧に頭の中で組み立てているだけのものを、うわっと紙に書き出すとき、それらの量があんまり密度が無かったり、はたまた、思っていた以上のかなりの密度に驚いたり、それらって、紙の上や、真っ白な画面の上に文字として書き出さなければ、実際にきちんとした目で冷静に見つめることが出来ないというのか……、

頭の中で意識していることでなくとも、意識下に潜っていることでも、表に出してみることってすごく重要ですね。特に、意識下にあったものなんて、絵で描いてみたり、文字で書き出してみたり、(私は楽器が出来ないけれど)音に出してみること、声に出してみることで表面化することって、かなりあると思うから。人の感覚は、触覚や聴覚、視覚、味覚
もしかしたら、食欲まで含めて(他にも表現出来ない第六感も含めるなら)身体は感覚の宝庫だから、それらを駆使して、見つめたものや、見つけたものや、得たものを、表に出して見つめてみることは、間違いなく喜びのような気がします。

意識出来ていなかった新しい感覚を開かされる気分っていうのかそういうものって、やっぱり、喜びです。

今回こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。



---2016/12/31 19:38追記---


深水遊脚 様

この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

 >言葉にならないとき、言葉にしようとすると嘘になります。ポイントはそんなとき便>利ですね。でも嘘にならない言葉を探すのが本当はいいのかもしれません。しなければ>ならないという強迫観念は不要で、有害ですが。

素敵なお言葉を誠に有難うございます。

深水遊脚様のこのお言葉は、私に大きな衝撃を与えました。あれから、思い返しては考えていたけれど、言葉にならない言葉を言葉にしようとすると嘘になるけれど、嘘にならない言葉を探すのが本当はいいのかもしれないというお言葉は、素直にそうだなぁと心に響くものがあったから。

深水遊脚 様の作品世界を泳がせて頂いて、感じた世界は、なにか言葉を引き止めるような、紡ぐというよりも、優しく留めるような、そんな繊細な目線を感じて、とても素敵だと思いました。上手く説明出来ないですが、言葉をとどめた先に想いがあっても、それを置くみたいな、それから先は、読まれている方が考えてってそんなうまく言えないけれど繊細な目線です。

>いまこのときのポイントの意図を明確になさっても、一月後のご自身の意図は違うかも>しれませんし、作品ごとにも違ってくるものです。そこは固定することもないかと思い>ます。 わたしなどはいい加減にポイントで済ませていますが、嘘にならない言葉を敢>えて探すのもいいものですよ。自分の使える言葉は確実に増えます。


嘘にならない言葉を探せば、私の使える言葉は確実に増えるというお言葉に、すごく嬉しくなりました。そうか、と素直に受け入れる感覚です。

>受け取るのは生身の人間で、ポイントは分かりやすい賛辞で、コメントは受け取る人間>の気分次第で大事にもされ、憎まれもします。大事にされる場合もひどく誤解されてい>たりします。そのような生身の人間相手の愛憎より、作品と、それに対峙する読者とし>ての自身の思考、身体をみつめるとよいのだと思います。生身の人間相手の愛憎という>ものは屡々錯覚です。でも作品とそれに対峙する自分自身は確かなものです。


コメントは、受け取る方の気分次第で、大事にもされ、憎まれもし、大事にされる場合も、ひどく誤解されていたりもする、どきっとしました。私が、コメント欄であまり、コメントが出来ないでいるのは、このご指摘くださっている部分が、すこし怖いからでもあります。

だから、

『そのような生身の人間相手の愛憎より、作品と、それに対峙する読者としての自身の思考、身体をみつめるとよいのだと思います。生身の人間相手の愛憎というものは屡々錯覚です。でも作品とそれに対峙する自分自身は確かなものです』

と、言ってくださったことがとても嬉しかった。

私は、一人の読者として、作品を向き合った気持ちを、きちんと表現出来るようになれば、それで良いのかもしれないって

そう思えたんです。

まだ、急にはコメントいっぱいすることは私には難しいかもしれないけれど、すこしずつ、出来るようになっていこうと思います。

今回此方に来て下さり、本当に有難うございました。嬉しかったです。失礼致します。











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