性別/水菜
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- しょだまさし 
- りゅうのあくび 
- 村乃枯草 
- 吉岡ペペロ 
- ひだかたけし 
違和リアル吟醸
 
作者より:

しょだまさし 様

 この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

このような作品に、人気が集まっていることに、先ずびっくりしたのを覚えています。
この作品を書こうとしたとき、私の中にあったのは、多分、ふわふわした居心地のわるいものを掴もうとするものだったように思います。

居心地のわるいものというのは、たとえば自分のなかに根深くあるコンプレックスのようなものや、なにか喉の奥に突き刺さったかのようなそれです。

声に出して説明しようとするなら、あっという間にモゴモゴと口を噤んでしまいそうな、私の中の恥ずかしいそれです。

言葉で表現するときに、ちょっとだけ利点があるなと思うのは、こういったものが、モゴモゴではなく、するすると割とすんなり出てきてくれることだったりします。

そういったものをこうして外に文字にして出してみて、眺めてみると、ちょっとだけ、あれ?面白いじゃないって。この感覚、伝えられるでしょうか……?

そういうことを重ねて重ねて、すこしずつ赦せてきたような気がします。自分のみっともなさとか、恥ずかしいところとか、そんなようなものを。すみません。

今回、こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2016/12/31 23:38追記---


竜野欠伸 様
 
 この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

この作品に写し取った私像は、やっぱりちょっとというか、かなりみっともない気がするけれど、それでも、それが私だったから、私は私であってよかったと思います。私であるから、私は今の私の悩みや、課題や色んなものを私が見てきたものを、自分を変えようとすることをし続けることが出来て、それはきっと、私じゃない別の違う私だったとしたら、そんなようなことにはならなかったように思うから、なんだかへんてこな話だけれども、私は、私でよかったって私は、やっぱり思います。

私の周りに居る方々も、こうして、詩のサイトという場所でお話する皆様も、そして、またこれから先に私が出会うかも知れない様々な方々とも、私は私として、出会いを重ねるのだろうなと思うから、それらは、やっぱり素敵だなと思います。私のどれかが、違っていたら、変化していたら、今この場で、この詩サイトの皆様とお話する機会は得られない筈ですし、もし、過去の私が、もう少し違う未来を選び、違う私であったのなら、今出会えた方々とは会えなかったのかもしれない。それがすごくかなしいって思うから、私は、こんなみっともない自分だけれども、私は私でよかったと思います。

私をこうして写し取って、それを赦して、また写し取って、それらの無意味なように見える反復が、私の意識をすこしだけ変化させるから、私はきっとまたすこしだけ前に進めます。そんな。すみません。

今回、こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
 
---2016/12/31 23:48追記---


村乃枯草 様

  この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。
 
 村乃枯草様の作品を泳がせて頂いて、感じる詩世界は、とても、素敵でした。
物語のような言葉に引き込まれて、ずっとぼんやり考えていたけれど、答えはでなくて、でもその答えをずっと考えていたいと思う程には、魅力的なそれは問いかけのように見えたから、アイオンスは何故泣いたのか、かなしくて、でも、無性に、アイオンスが愛おしいような気が致します。この作品を目にして村乃枯草 様が何を想像されて、イメージされたのかなって想像して私は、嬉しくなります。素敵な作品を読ませて下さり、本当に有難うございます。

詩にしか写し取れないようなみっともない私の独白なのに、こうして、文字におこして外側から眺めると、なんて不思議なものに見えるのだろうと思います。文字とは不思議なものです。写し出した私像は、こんなへなちょこなのに、そうじゃない自分を中身は望んでいるなんて、やっぱり、なんだか高望みでへんてこって思います。

客観的な自分の外側も、ひねくれた内側も、どちらも私だからこそ、どちらも赦していくって段階がやっぱりどうしても必要な気がして、今回こちらに詩として書いてしまったことよかったなと思います。すみません。

今回、こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 00:02追記---

吉岡ペペロ 様

 この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

この様な自らを写し出す作品を書くということは、皆様に返信をする度に、自らの写し出す像と向き合うことなのだと薄々分かってきて、なにか自分を徹底的に見つめているような気になってきました。吉岡ペペロ様に向かってちゃんと書いている筈の返信なのに、良くないですよね。すみません。インド独立の父、マハトラ・ガンジーは、『幸せの定義とは、あなたが考えるもの、あなたが話すもの、あなたが行うもの、それらがよく、調和されているときです』『自分の心の中に平和を見つけなさい、本物の平和は外部に影響されない』と、言いましたが、ガンジーは、自己表現の大切さや、自分を見つめることの大切さを追求した方であったのではないかと私は思っています。父はインド西部の総理大臣を持っていたのに、生涯質素な生活を続けて、います。ああ、ガンジーのような立派な方を例に出すくらい、自分を見つめることが大変だったみたいです、すみません。これでもうしばらくは、この様な自分の外側を写し出す作品は書けないような気がします。外も内も、なんだかんだでみっともないものであるのかもしれないですね。どうにか、いつかきちんとした詩として昇華したいと切実に思います。

今回、こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 00:22追記---

ひだかたけし 様

 この作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難うございます。

 >違和リアル吟醸

素敵なお言葉を、誠に有難うございます。

違和感で、リアルで、吟醸。(*´∀`*)嬉しいです。有難うございます。

じっくりと、丁寧に発酵させて作られた清酒のように、リアルもえぐみのない自分でいられたらどんなに素敵なことだろうと、理想を夢見ました。(*´∀`*)嬉しいです。

自分の違和感もいずれ自分のなかに溶け込ませて、私という清酒をつくれたら最高だなぁと思います。自分語りがきついですね。すみません。どうも、この作品が、自分の外側の客観的なものなものだから、自分語りになりがちなんです。(*´∀`*)

でも、面白いですね。ここまで、徹底的にみっともない自分をこうして直視し続けていると、反動で、真面目そうな自分が顔を出すのだから、人って不思議です。

今回こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

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