死を待ちながら/そらの珊瑚
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- Lucy 
この詩を読みながら、無罪判決から逆転死刑を言い渡され、再審の道を閉ざされたまま執行の恐怖に怯える歳月を送った挙げ句、病床で点滴と呼吸器の管に繋がれ、孤独に亡くなった人を思いました。
彼が本当に無罪なのなら、なんという理不尽、なんという無惨でしょう・・。
この詩のテーマとは離れてしまうコメントかもしれませんが、「点滴に繋がれた腕は夢の中でも痛むのだから」の表現に、今朝新聞で読んだ見ず知らずのその人が、感覚と心を持った生身の人として、私の中に現れ、心を締め付けてきました。
タイムリーな素晴らしい作品とおもいます。
ありがとうございました。

誤字訂正させていただきました。失礼いたしました。珊瑚さんレスありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。m(__)m
- 陽向∮ 
- レタス 
- ありか 
- 北大路京介 
- ただのみきや 
- あおい満月 
- 殿上 童 
- 夏美かをる 
末期ガンが判明した時点で、誰もが医者に訊く質問が「後どれくらい生きられる見込みですか?」ですね。私もそうなったら訊いてしまうと思います。大変難しい問題ですね。死期を知り、死ぬ準備をしてから死ぬのと、死期を知らずに準備もないまま死んでいくのと、どちらが幸せなのか? 私には分かりません。
- ゴースト(無月野青馬) 
考えさせられる作品だと思いました。
- 泡沫恋歌 
重たいテーマですね。
余命を本人に知らせるかどうか、難しい問題です。
逆に知ってしまった方が残りをどう使うか考えられる。
私なら創作しながらその日を待つと思う。
- 小川麻由美 
私も余命宣告された身です。お気持ちは痛いほどわかります。
色々な方々に支えられて、自分は幸せなのかもしれないと、
ふと思う事があります。
余命宣告なんてただの数字。吹き飛ばしてしまいましょう。
- 瑞海 
- 媒体 
- 川瀬杏香 
 
作者より:
最近、余命何年とか、5年生存率とか、よく耳にすることがあって
それになんの意味があるのか、ふと考えてみたくなりました。

---2015/10/05 10:26追記---


松岡さん、そんなふうに読んでいただけなんて、驚きと同時に嬉しいです。
冤罪だとしたら、その胸中の無念ははかりしれないです。
点滴の箇所だけは自分の体験をもとに書いております。ゆえにそんなふうに受け止めていただけたのかなあと思います。
体験をもとにした強み、というのが創作において確かにあるのかもしれないと、
詩とは読者の方の感受性によっていかようにも読むことのできる多面体になりうること、、
松岡さんのコメントで気づかせていただきました。
ありがとうございました。

---2015/10/11 07:57追記---

れたすたれすさん ぴぱんちょぱぴんちょ(^0^)ありがとうございます。

夏美かをるさん、そうですね、私にもわかりません。その時になってみないと。準備が出来るという意味では、余命を知るということは、もしかしたら幸せなのかもしれないし。
かなり精神力がないと受け止められない気もします。

無月野 青馬さん、そういっていただけて嬉しいです。

yuriさん、この世にたった独りで産まれてきたことの記憶はないけれど、産まれてくるのも、死んでゆくのも、ひとりでやりとげねばならない。無常です。
余命の告知にはいろいろおもうところがありますよね。

泡沫恋歌さん、知りたいか、どうか、健康なうちに家族で話し合っておくのもいいのかもしれませんね。

小川麻由美さん、強く励まされるようなお言葉、感謝申し上げます。
体は病気になっても、心さえ健やかであれば、幸せなのかもしれませんね。
(それはとてもむずかしいことなのかもしれませんが)
どうぞおからだを大切になさってください。

ゆかぺこさん、ありがとうございます。

お読みいただいたみなさま、コメント、ポイント、ありがとうございました。

 
この詩をもとにして書いた掌編小説です。
「死の霧」http://www.jiku-monogatari.jp/entry/?mode=disp&key=6318&lid=&sort=&word=&page=1

---2015/10/11 07:58追記---

---2015/10/11 08:26追記---

---2015/10/12 22:41追記---

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