以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- - nemaru
- - あおば
- ハレとケの関係もあるのではないかと思うのですが・・。
- - アラガイs
- 多様な見方多くのジャンルは必要でしょう。限られた社会の中で生活を営む我々から共時性を失えば得るものは少ないかも知れない。未だ未踏の地へと足を投げ出したその多くの者たちは目的地へ辿り着く前に行き先を見失う。ですが、私は一般人として人々の残した道を辿るだけでは満足できない。無限と拡がる宇宙の全容を、この生きた眼に焼き付けるのは残念ながら無理でしょう。ならせめて切り開かれる未開の地を、このあたまの中に拡がる視線で眺めて見たいのです。無論詩人として。
- - ヨルノテガム
- >我々は何も特殊な幻想や特殊な状況を設定して詩を書く必要などない。
共感した部分です
特殊な境遇や状況 というのは創作者が思うほど特殊でも
なかったりするので 世界観が狭くなる状況をつくってる場合が
あると思う
>我々は「自覚した庶民」として、
自覚する対象が いまいち 具体的によくわからなかった
>多くのことを感じ考えているのである。
>そこに詩の源泉は厳然として存在する。
やっぱり
①多くのことを感じている忙しい自分、
②多くのことを感じている自分が色々考えたこと、
③それらを見つめた視点でまとめ合わせ作品にしたもの
第三段階くらいで 詩という形式にやってくる気がします
庶民を自覚する というのでもないですし ピンとこないし
やはり 見られてもよいものを作品として残すことに価値を見、
そのことを自覚したひと くらいのことでしょうか
夕日を見ても映画を見ても 源泉はあったと思うが
それが発現するのは 瞬間か一回限りなのかもしれませんね
自分にとっての一回限りの状況 というは特殊であるでしょうね
そんなことを思いました・・
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