絶対量/
オダ カズヒコ
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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凍月
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アラガイs
あいかわらず読みやすい文体にわけのかわらん文脈を追及されておられてわたしはうれしく思いますよ教授。
Neoモダニストなあなたにとっての言葉、その文章の一行一行とは。乙葉風に揺するタンゴを積み追いながら、生い茂る深い森の中で静かにアセチレンを呟く、一本のちいさな枝にすぎないのです。ガイアの夜明けにみられる宇宙の大きな視点から地球の枠を眺めてみる。つまり単純に言って未来型思考ですね。
「絶対量」とは何を指すのか。これは反語的な意味合いで我々にとって必要不可欠な要素のことだろうか。
生命体をカタチ造る素となるアミノ酸を生み出すには、炭素や水素また酸素に窒素の高分子などは必要不可欠な物質だが、これに太陽光や放電といった様々な外的圧力の要素が加わり物質は反応を起こすようになる。反応は合成され合体や分裂をくり返しひとつの単純な初期生命体を造り出す。ここに登場するケダモノとは、まさにそうした過程を経て人類という地球上でもっとも発達した知的生命体の枠を超えて未来をみつめる、未だ誕生を知らぬ未知の生命体なのである。 ※どうやらテレビから流れテルミンの音を聞いてたらわけわからんこと書いてしまったようです(汗)
作者より:
凍月さん、どうもありがとうございます。
アラガイさん、最近になって漸く「近代主義」の限界と超克という事柄が身につまされるような年齢になってきました。人間の活力のミナモトにはワケのわからないパワーがグルグルと渦巻いていなければいけない。あらゆる論理を引き込む力。そいつを詩のコトバとして考えると、世界を弛みなく挑発し続ける非合理の精神が息づいていなければいけない。でないとぼくらは文化的なレベルで「脳死」してしまうんじゃないかという危惧を抱いてしまいます。どうもありがとうございます。
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